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968■■ 包丁納め

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凍えるように寒いか、冷たい雨が降るか、そんな日が繰り返される中、小春日和とはいかないまでも一瞬寒さが和らいだ一日の到来に正月用の寒ブリを下ろしたばかりの包丁を研いだ。
日陰は空気も水も冷たかったが、荒研ぎから仕上げまで4つの砥石を使って丁寧に研いだ。

自分の包丁を持ってかれこれ15年近くになる。
だから、包丁を自分で研ぎ始めたのもその頃からということになる。

その頃の包丁は今では使っていない。
今使っている柳刃は大阪で買い求めたもので、出刃は地元の野鍛冶が作った両刃という一風変わった代物だ。

砥石は既に8つ所有しているが、近いうちにもう1つ増えることになりそうだ。
研ぎについて記載のある本も何冊か所持しているが、その上にわざわざ図書館からその手の本を借りて読んだこともあった。

だが、これまで今一ちゃんと研げていると言えるのか自信がなかった。
片刃の包丁の砥石への当て方は分かっているが、今一つ砥石に当たる刃の微妙な角度が違うようで悶々としていた。

ところがこの度初めて研げたと実感する瞬間に出合った。
仕上がりはまだまだ未熟だが、全ての基本である研ぎの入口に立てたことは確かなようだ。

お陰でその日を包丁納めとした為に、折角の寒ブリのさくも下ろすことが出来ずにいる。
だが、大晦日の今日、納めを解いて一回だけ使ってみようか...。

by finches | 2012-12-31 06:38 | 嗜好
967■■ 雉鳩
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冬木立の中にあって色のある実をつけた柿と柑橘の木々にほっと心が和む。
枝に残した沢山の柿の実は小鳥たちのもので、食べ頃に熟したものからなくなっていく。
蜜柑も酢橘も八朔も酢橙も黄色く色付き、これらは勿論食べてもいいがそのままにして目で楽しむのもいい。

水鉢のめだかたちも小春日和の暖かい日以外は姿を見せなくなった。
そんな冬の庭に毎日欠かさずやって来るのが雉鳩だ。
気が付くと葉を落とした柿の枝にとまっていたり、ガサガサと音のする方に目をやると柿落葉の上を歩いていたり、踏み石の上をこちらに向かって歩いていたり、そんな時は思わず「おはよう」と声をかける。

この日も一番手前の踏み石まで歩いて来た雉鳩に気付き、芥子の実を石の上に置いてやると、一旦は二つ先の踏み石まで後退するが、直ぐにやって来て美味そうに食べ始める。
時には日に何度もやって来ることもあるが、その都度餌を置いてやる。
雉鳩も筆者に興味があるようで、ただ枝にとまってこちらを見ている時もある。

そんなゆっくりとした時間が冬木立の間を柿落葉の上を流れていく。
そんな純な自然の営みの中で心は澄み感性は研かれる。
そして、復古していく自分がいる...。

by finches | 2012-12-18 05:57 | 無題
966■■ 初氷-十二月
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毎朝寒い。
寒くて毎朝朝食時間まで布団から出ることができなかった。
起きなければと思いながら浅い眠りを何度も繰り返す、そんな朝を送っていた。

寒いという理由でブログも書かなかった、否、本当に寒くて書けなかった。
だが、今朝は徐に着替え、手袋をして庭を横切り、二階に上がった。
室温4度、アラジンが温風を吹き出すまでの余熱時間が長くながく感じられた。

皮張りの椅子も冷え切っていた。
仕舞ってあった膝掛けを取り出し、一枚は皮張りの背と座を覆うように掛け、もう一枚は膝に掛けた。
準備は整った、が、指先は凍るように冷たかった。

一昨日メダカの水鉢に張った初氷を撮っておいたのを思い出した。
今朝はその写真を使おう。
キーを打つ指先はまだ氷のように冷たい...。

by finches | 2012-12-12 06:35 | 無題
965■■ 湯たんぽ

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突然湯たんぽを使ってみたくなった。
そこで、当然昔ながらのブリキの湯たんぽを探した。

毎朝、温泉から汲んで来た水で顔を洗っているが、ここにきて流石に冷たい。
その冷たさがシャキッとして気持ちのいいところもあるが、これからますます冷たくなると思うと、と考えるところもあった。

湯たんぽを使ってみようと思ったのは、温泉のお湯を湯たんぽに入れて眠り、朝はぬるくなったそのお湯で顔を洗ったら最高だろうと思ったからだ。
昨夜は湯たんぽ使用開始二日目、布団は温かいし、朝の洗顔も何とも気持ちがいい。

使用開始一日目の湯たんぽ係は家人が務めた。
3.6リットルの容量いっぱいに湯を入れるために計量し、それを2回に分けて沸かしていた。

使用開始二日目の湯たんぽ係は筆者が務めた。
計量は600mlのペットボトルで6回、薬缶は庭のガラステーブルの横にオブジェとして置いていた銅製の大薬缶を使い1回で沸かした。

この銅製の大薬缶、函館の名刹高龍寺の什器をご縁があっていただいたものだ。
一年余り何もせずに放置していた薬缶の中には雨水が溜まっていたが流石に銅の力は凄い、溜まり水は腐ることも汚れることも藻が付くこともなく、軽く洗っただけで直ぐに本来の薬缶としての機能を発揮した。

温泉の水はこの地方の名泉の中でもずば抜けた泉質だと筆者は思っている。
そのお湯を湯たんぽの中で一晩寝かせたことで、洗顔のお湯は一段と円やかさを増し、銅製の薬缶が確信こそないが何らかのプラス効果を付加しているように感じられた。

考えてみれば湯たんぽは昔の人が考え出したエコ商品だ。
お湯は暖を取るためのストーブの上に置いておくだけで沸いてくる。
そのお湯を無駄なく使う生活、それは正に循環型のライフスタイルと言えるだろう。

昔の人が普通に使っていたものが今一番使いやすい。
そこには足すことも引くことも必要としない淘汰された完成形がある...。

by finches | 2012-12-02 08:36 | 持続