948■■ 温泉と彼岸花-その三
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毎日の温泉通いを人は羨ましいと言うが、医者から治ることはないと言われた皮膚疾患の温泉治療をその湯に託している身としては、毎日のそれは他人の羨望からは程遠い忍耐に他ならない。
車で20分以内で行ける二つの温泉がその皮膚疾患を和らげることに偶然気付き、以来筆者の温泉通いは続いている。

その二つは元々は共に古くからある湯治場だが、そのうちの一方が秀逸な掛け流しの湯で、完治こそしないもののその効果には絶大なものがある。
ただ難を上げるならば、余り綺麗ではないことと、休みが決まっていないことだ。

最近その湯の常連から休みだった時に訪れるという温泉の名を聞いた。
そして、このところ日曜日になるのを今や遅しと待ってその温泉に出かけている。
正に灯台下暗し、その温泉の湯があの秀逸な湯に勝るとも劣らない掛け流しだったのだから堪らない。

その温泉には読みたい本を持って行くのが似合うと思い立ち、三回目にそれを実践してみた。
湯客が空いたら湯に浸かり、上がったら畳に胡坐をかいて本を読む。
窓からは桜紅葉、縁側からは峠の下を流れる川からの川風が心地よく入ってくる。
そして、湯上がりに食べた親子丼の素朴な味は何よりの馳走に思えた。

三回目の帰り道も同じ場所に車を止めた。
彼岸花は終わりを迎え、幾つかの田んぼを残しほとんどは稲刈りを終えていた。
これから晩秋を迎えそして冬を迎え、この景色はどんな風に変わっていくのだろう...。


親子丼はこちら
# by finches | 2012-10-10 09:23 | 無題
947■■ 温泉と彼岸花-その後
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日曜日の昼下がり、東京から戻った家人を連れて温泉に出かけた。
そこは、その一週間前に初めて一人で訪れた温泉で、源泉を沸かしてはいるものの掛け流しであることには違いなく、その泉質は相当なものだと感心した。

その日湯から上がった家人はどこかニコニコとしていて、以前美人の湯として訪れた寸又峡温泉の泉質に似ていると、妙に抑揚を押さえた声で囁いた。
それは、毎日のように通っている温泉こそが、少なくとも県下では最高の泉質と思っていたところに、突然無名の強敵が現れたことへの驚きと焦りとを押さえている、そんな囁きに聞こえた。

帰り道、彼岸花の咲いていた田んぼの脇に車を止めた。
一週間前の花は終わり、それ以上に多くの真っ赤な彼岸花が一面に咲いていた。
秋の空は高く、そして青く、そこには秋の白い雲がポッカリと浮かんでいた。

四季の移ろいをこれ程身近に感じたことがこれまであっただろうか。
今日は昨日とは違い、明日は今日とは違う、そんな小さな変化に触れ感動したことがこれまであっただろうか。
日本人の感性の根底にある美意識は、この四季の美しさに感じる心に根差していると思った...。

# by finches | 2012-10-05 07:31 | 季節
946■■ 追想Ⅴ-東京・隅田川
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同じ朝、佃島からの帰りは隅田川の下流を眺めながら歩いた。
かつて佃の渡しがあった場所に架けられた佃大橋の向こうには隅田川の第一橋梁となる勝鬨橋の雄姿が銀色に見える。
右岸手前は亀島川、その少し下流にはかつての鉄砲洲川跡が水門として残り、勝鬨橋の右岸上流にはかつての明石堀跡が水門として残っている。

以前この明石堀について拙稿では次のように書いている。
「写真はあかつき公園となっているかつての明石掘跡だ。
かつて築地川はこの公園の名の由来となった暁橋を過ぎると、築地川南支川との出合で直角に曲がり、その曲がった所には境橋が架かっていた。
そして、しばらくその川幅のまま流れた後、新栄橋の手前辺りから徐々に川幅を広げ明石掘と呼ばれる船入澗が造られていた。
その明石掘の最も幅が広い東端にはかつて鉄砲洲川が流れ込み、その出合から明石掘は南に向きを変えて川幅を狭め、明石橋を過ぎた先で隅田川に注いでいた。
そして、この隅田川との出合にかつては月島の渡しがあった。」

隅田川左岸の佃島はかつて隅田川の河口に浮かぶ小島だった。
佃大橋が架かり消滅した佃川は、埋め立てによって次々に拡張されていった月島とのかつての境で、佃大橋から手前の部分がかつての佃島となる。
その佃島の船入澗は今も佃大橋の左岸上流に残っていて、住吉水門で隅田川にその口を開いている。
佃島には……、おっと、切りがないのでこの辺にしておこう。

川筋には消すに消せない街の歴史が深く刻まれている。
その歴史は昭和から大正へ、大正から明治へ、明治から江戸へと繋がっている。
そして、江戸から今を逆に見てみると、大樹のように枝を張った街の歴史が見えて来る。
そして、そのことに気付くと、未来の有りようも見えて来る。

過去をそのまま未来へと引き継ぐこと、引き渡すこと、それこそが今を生きる者の使命だと改めて思う...。

# by finches | 2012-10-04 06:16 | 無題
945■■ 追想Ⅳ-東京・隅田川
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新しい朝を迎えた隅田川を佃島に渡った。
正面の橋は永代橋、その奥には清洲橋も見える。
隅田川は佃島で二本の流れに分かれているように見えるが、本流は西側で東側は晴海運河となる。
晴海運河は海の埋め立てで生まれたものだ。

この辺りから眺める隅田川は、永代橋の上流右岸で日本橋川、下流右岸で亀島川、そして下流左岸で大横川と出合う。
今では新川と呼ばれているこの右岸の日本橋川と亀島川に囲まれた一帯はかつて霊岸島と呼ばれた。
霊岸島は江戸時代に埋め立てによって生まれた島だ。

その辺りをかつて江戸湊と言い、江戸幕府により整備された最初の港で、日本各地から産物を満載した船が引っ切り無しに出入りしていた。
霊岸島には……、おっと、切りがないのでこの辺にしておこう。

この霊岸島には小学校が一つあって、それは明正小学校という昭和2(1927)年に建てられた震災復興小学校だ。
そして、道路を隔てた公園は越前掘公園という震災復興小公園で、かつて松平越前守邸を三方囲んでいた越前掘の遺構が残る場所でもある。

残念ながらこの明正小学校も建て替えの為の取り壊しが始まっていた。
それを見ながら、価値観の違いと言って済ますには余りに大きい、一つの時代の語り部がまた一つ消失する焦燥が胸を打った。

川や川筋の跡には江戸の香が今に残り、大正・昭和初期の建築にはその時代の息吹が今に残る。
それらをそのまま未来へ引き渡すことが、今を生きる者の使命だと思うのだが...。

# by finches | 2012-10-03 09:12 | 無題
944■■ 追想Ⅲ-東京・南高橋
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南高橋
は亀島川に架かる第一橋梁で、昭和6(1931)年に完成した震災復興橋梁の一つだ。
この橋は明治37(1904)年に完成し大正12(1923)年に起きた関東大震災で損壊した両国橋三径間の破損の少なかった中央径間を、この南高橋として復活させたものだ。
だから、最初の両国橋から数えると108年を経過して今尚現役の橋ということになる。

明治,大正,昭和初期の古い建物の保存が叫ばれる昨今、同時期に建設された土木橋梁への関心は隅田川に架かる一部のスター橋梁は別として人々の関心の外にあるのが現実だろう。
だが、今尚この時期に建設された古い橋が人々の生活と密着した暮らしの中で、なくてはならない橋として立派に現役で機能していることを知って欲しい。

現代の橋と違って、これらの古い鉄の橋はどれも皆実に美しい。
加えて、鋼材を重ね合わせ、リベットで接合した手仕事の温もりが、人の暮らしや営みの身の丈のスケールと穏やかに呼応し優しく調和している。
それらの橋が土の中に埋められたり、味気ない同じような橋に架け替えられて行くのを見て歩きながら、これらの橋を何とか残せないものかと思い続けて来た。

特別な橋は別として、これまで寿命が来た橋は人知れず架け替えられて来た。
だが、不況による公共工事予算の緊縮から、古い橋を改修しメンテナンスして行くことで、その寿命を延ばそうというすばらしい試みが全国で始まっている。
隅田川を例に言えば、これらの古い橋を後200年は使い続けようという試みだ。

南高橋にもこの長寿命化工事の工事看板が立てられていた。
筆者は新川と鉄砲洲を繋ぐこの橋が好きだ。
ここにこの橋があることで街が時代と共に変貌しても、江戸を彷彿とさせる風情や情緒が残っているのだと思う。
200年後この街はどのように変わり、その中でこの橋はどのようにあるのだろう。
きっと、今以上に人々に愛され、凛と美しく輝いているに違いない...。

# by finches | 2012-09-29 06:24 | 無題
943■■ 追想Ⅱ-東京・上野毛
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移転した公文書館に行くために久し振りに上野毛で電車を降りた。
結婚して新しい生活を始めたのはこの上野毛の隣駅,等々力から少し歩いた深沢だった。
東京でも世田谷は緑の多い所だが、その世田谷の中にあって深沢は群を抜いて緑の多い所だった。
上野毛にはたまに散歩がてら行ったが、当時上野毛には小さな木造のかわいい駅舎があって、階段を降りると昭和の初め頃を彷彿とさせるような小さなホームがあった。

上野毛から公文書館への道は急な坂になって多摩川へと落ちている。
これは国分寺崖線と言われる多摩川が武蔵野台地の縁端に作り出した河岸段丘の崖線だ。
この緑に覆われた斜面に沿って高級住宅が建ち並んでいるのも上野毛のもう一つの顔だ。

さて、その懐かしい坂を下ったところに公文書館はあった。
勝手知ったるで、入口のガードマンに利用目的を告げ、氏名住所と入館時間を記帳しバッジをもらった。
資料室ではメガネと手帳以外はロッカーに入れる。
筆記具は鉛筆以外使用が禁じられている。
公文書館ならではのルールさえ守ればそこは貴重な資料の宝庫、お目当ての資料を探し出すにはかなりの苦労を要するが、それはそれでまた楽しみというものだ。

その資料との6時間の格闘を終え公文書館を後にした。
二子玉川は街全体が新しく生まれ変わっていた。
かつての駅裏が新しい街へと美しい変貌を遂げていた。
その街をぶらぶらと見て歩きながら三種の皿を買い求め、予約の入れてある店へと向かった...。

# by finches | 2012-09-27 08:35 | 無題
942■■ 追想Ⅰ-東京
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着陸時に窓を流れ去る雨粒に些か消沈したが、地上に着くと幸い雨も上がっていた。
最初の予定に決めていた公文書館に着くと、なんと移転、友人に電話して移転先を確かめた後、気を取り直して学会図書館へと移動した。
受付を済ませ、席にメガネと手帳を置き、徐に電動集密書架のボタンを操作すると目的の資料のある通路が開き、その通路に灯りが点った。
二時間と決めていたそこでの時間はあっという間に過ぎた。

次に向かったのは八丁堀、写真は亀島川に架かる高橋から撮った南高橋で、その先の水門を抜けると隅田川に繋がる。
右岸の船溜まりはかつての桜川の河口跡で、かつてそこには稲荷橋が架かっていた。
南高橋右岸を少し入ると鉄砲洲稲荷があり、その横には鉄砲洲公園という復興小公園がある。
筆者は亀島川左岸の新川からこの鉄砲洲界隈が好きで、江戸の川が残っていることで街は大きく様変わりしていても、どこか他の場所にはない風情と情緒が残っている。

最近まで鉄砲洲公園に面して鉄砲洲小学校という小さな復興小学校があった。
その学校が取り壊されてから初めてそこを訪れたが、新しい校舎がそこにはあった。
その校舎を見ながら過去の色んなことが頭を廻り、新しい色んなことが頭に浮かんだ。

そして、その新しい校舎を横目に、目的の勉強会へと向かった...。

# by finches | 2012-09-26 12:53 | 無題
941■■ 温泉と彼岸花

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東京での疲れがどっと出て、日曜日は昼食を取りがてら初めての温泉に出かけた。
これまで、筆者が使っている少し古い地図にある温泉を訪ねてみると、幾つもが既に廃業していたり、道の駅の温泉へと大きく様変わりしていた。
昨日初めて訪れた温泉も既になくなったものと思っていたが、いつも行く温泉で源泉の隠れた名湯があると聞き訪れたものだ。

その温泉はある駅の近くにある旅館の温泉で、その線路と川を挟んで走る道路はこれまで何度となく通っていたが、その駅が何処にあるのかさえ分からずにきた。
昨日はその駅を目指して地図を見ながらその川沿いの道を走ったにも係わらず、その駅の所在は全く分からずに大きく行き過ぎた。
戻る途中にあった橋を渡り旧道らしき道に入り、一軒の民家でその駅の場所を訪ねた。

その旧道を進むと小さな駅があり、そこから見ると、確かに川の向こうにいつも通る道路も見えた。
温泉旅館は木造二階建てで寂れた情緒があり、その源泉の湯はゆっくりと疲れを癒してくれた。

旅館の女主人が狭いから止めた方がいいと言った方角を帰り道に選んだ。
旅館の脇の坂を登ると直ぐに視界が開け、黄金色の田んぼが広がっていた。
青い空には白い入道雲が見えたが、それはもう夏のものではなかった。
車を止め外に出ると、湯上りの頬に秋の風が清々しく、ふと見ると黄金の稲穂に混じって幾つもの彼岸花が真っ赤な花をつけていた。

この瞬間が彼岸花が最も美しい時だ、と思った。
そして、そんな景色が何より旅の疲れを癒してくれた...。

# by finches | 2012-09-24 07:28 | 季節
940■■ 朝の水玉

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土日は水曜に迫った東京での勉強会のための資料のまとめ作業に没頭した。
とは言っても、土曜の朝は魚を買いに市場に行き、下処理と下ごしらえを終えると、新鮮な野菜を求めて三市にまたがるドライブに出かけたりもした。
日曜の朝は4時間の集中作業の後、バケットとチーズの簡単な昼食を終えるや、午後からの作業のための気分転換に温泉へと直行した。
帰ったら同じく4時間の集中作業をと考えていたが、思わぬ温泉効果からだるさと強烈な睡魔に襲われたが、それでも何とか2時間ほどは頑張って資料作りに勤しんだ。

今朝、まだレジメもない作りかけの資料を元に要する時間を計ってみた。
勉強会での発表の持ち時間50分に対して、17分を残してほぼ終わった。
早口で喋っての結果だから、もっとゆっくり喋り、ちょっと違う話を交えても50分で収まる大雑把な目途だけはついた。
後はレジメを完成させればいい。

疲れた時や気分転換が必要だと思うと、柿の木の下まで行ってみるか、庭に設えたガラステーブルまで行って戻る短い歩行を楽しむ。
この間に取り入れる新鮮な酸素から新たな活力が得られる。

雨が降ったのか、ガラスのエッジには幾つもの水玉がついていた。
シマヤブランも紫の小さな花をいっぱいにつけていた。
こんなささいなことに感動する新しい朝が好きだ。

東京での滞在は三泊四日、その朝はどんなだろうか。
宿は温泉のある川の傍のホテルに決めた。
隅田川も近い、朝の散歩が楽しみだ...。

# by finches | 2012-09-17 07:21 | 時間
939■■ 朝の時間

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一週間後に迫った東京での勉強会のために予習を始めている。
蒐集した資料は机の上に積まれているが、一年以上それらから遠ざかっていたことで、却って違う視点で物事を考えられるようになった。
だから、今朝も勉強会でのテーマからは大きく逸脱したところであれこれと調べを続けている。

だが、この脱線こそが大事だと思っている。
一本道を突き進むような調べ方とは違い、物事を俯瞰して見、考えることで、より広く深くその本質に近付き、捉えることができるようになる。
今朝もそんなことをやっていて、ふと東京での朝の時間を懐かしく思い返した。
手探りでまだ暗いリビングのスタンドを点けソファに座り、カーペットの上に所狭しと資料を広げ、電子辞書を横に置き、頭に浮かぶことをiPadでどんどん検索する、そんな朝の時間のことを…。

調べる行為に対してその環境というものは大切で、そのリビングは決して広くはなかったが、壁までの距離、天井の高さ、窓の位置や大きさ、サイドテーブル代わりのスツールやオットマン、それらが調度いいスケール感を保っていたのだと思う。
そして、ソファーがカーペットにめり込む数ミリの高さの違いが、最も落ち着ける楽な姿勢を作り出してくれていたのだと思う。

ソファーの座り心地が前とは違うと感じていたが、それはカーペットから木の床に変わり、数ミリの沈み込みがなくなったせいだということに、今朝これを書いていて気が付いた。
今朝はモックアップとして作られた椅子に座り調べを進めた。
そして、新たな発見や感動がある度に、柿の木の下に行ってその数を増した落ち柿を眺めた。
落ち柿を照らす朝日は、新しい影と光の帯を長く伸ばしていた...。

# by finches | 2012-09-14 07:12 | 時間
938■■ 秋-九月

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柿の枝に吊るした温度計は21℃、道理で肌寒いはずだ。
だから、今朝は長袖,長ズボン,靴下という万全な出立ちだ。
このところこのブログを書くのは旧車庫の一階、その土間に斜に設えた簡易なテーブルが定位置になっている。
北側のシャッターと南側の窓を開け放ち、ちょっとレトロな灯りが二つ点いている。
二時の方向にある窓からは柿の木が見える、そんなロケーションだ。

さて、このところ朝の日課に変化が生じている。
メダカの餌やりに加えて、小鳥への餌やりと、脱落して落下する柿の実の片付けと、踏み石の周りの柿の落葉の片付けだ。
メダカはこの夏の猛暑で子メダカのほとんどが死んだ。
やって来る小鳥は雀に雉鳩にハクセキレイだが、常連は雉鳩とハクセキレイ、彼らは雀と違い傍を歩いても逃げたりしない。
雉鳩に至っては食べ終わると、柿の枝の定位置に陣取って仲良く羽繕いまで始める。
但し、ハクセキレイは虫を食べているようで、餌に釣られてやって来る訳ではなさそうだ。

落柿には青柿もあれば半熟柿もあるが、後者は始末に悪い。
落下すると潰れて半熟の実が飛び散り辺りを汚す。
そんな実を片付けていて甘酸っぱい匂いが漂っているのに気付いた。
それは腐敗の匂いではなく発酵の匂いだと思った。

その匂いを嗅ぎながら、遠い昔こんな落柿が木の股の窪みに雨水とともに溜まり、それが自然に発酵して酒になり、それを動物が見つけて飲み、それを今度は人間が見つけて飲み、そして、果実から酒を作ることを覚えていったのだろうと思った。

落柿と落葉は一部を土の上に残し後は土に穴を掘って埋めてやる。
後は微生物がせっせと土作りをしてくれる。
朝の日課は増えたが、日に日に土が生まれ変わって行くようで、なんだかわくわくした気分になってくる...。

# by finches | 2012-09-12 07:08 | 季節
937■■ 海の見える城下町
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二週間の単位で一緒に過ごす家人とのここでの暮らし、それは一年春夏秋冬を三カ月の単位で分けると、筆者は一つの季節を六つに見ていることになり、家人は一つ飛ばしに三つに見ていることになる。
だから、途切れることなく行き過ぎる季節も、家人からすれば大きく変化したものに感じるようだ。

この二週間で家人が一番よく口にしたのは、稲の実りへの感動のことばだった。
毎夕山間の道を温泉通いしていると、その道沿いに広がる田んぼの変化に否応なく目が行く。
それはそれぞれの季節で美しいものではあったが、刈り入れを間近に日々黄金色に近付いて行く稲穂は殊更に美しい。
それは、自然の美しさに加え、実りへの感動と収穫への歓びと期待が加わるからだと思う。

日曜日、後三日の滞在を残す家人を連れて少し離れた温泉へと出掛け、その足を海の見える城下町まで延ばした。
海岸は埋め立てられ、国道は車の喧騒で溢れていたが、一歩入った旧道は静かな佇まいを今に残し、時折聞こえてくる中学校の運動会の声援以外は時々のつくつく法師の鳴き声くらいだった。

藩主の旧宅ではゆっくりと時を過ごした。
鎌倉と見紛うような山門からの眺めに驚きながら、古刹のひんやりとした空気に息を付いた。
石垣や土塀が往時の区割りを今に残し、そこには連綿と続く人々の暮らしが今もあった。

帰路、降り始めた雨の中を走りながら、その日最初に見た写真展のこと、工事中の橋を写真に撮ったこと、干拓地の樋門に立ち寄ったこと、古刹の石段から鬱蒼とした葉がまるでその景色を見せようとしているかのようにポッカリ開いた先に見えた古い歴史のある島のこと、そんな幾つものことを思い浮かべ反芻した。
そして、いい時を過ごせたことに感謝した...。

# by finches | 2012-09-10 08:07 | 時間
936■■ 図書館で借りた一冊の本

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二週間後に迫った東京でのある勉強会の為に久し振りに手元の資料に目を通し始めた。
図書館で集めた資料や論文のコピーはサイズも区区で、その整理には難儀をする。
書棚に立てておけるものはまだ良いが、大型の横版になると平置きする以外に上手い保管方法も思い浮かばない。
それぞれのコピーの右上には書名・出版年と蔵書図書館名を記した付箋を貼り、関連付けてのグループ分けもしているが、それらが縦に重なるとどうにも始末が悪い。
そんな資料を全てテーブルと床に広げ、改めて見直している。

ある目的を持って何度も読み返した学術論文もひとつの結果を得るに至った上で改めて読み直すと、その論考の構築のためにあった参考文献の中身を実際に確かめてみたくなってくる。
例えば、『※※史』によれば、日本で最初の鉄筋コンクリート造校舎は神戸市の須佐小学校、などという件に対して、それが実際その本の文脈の中ではどのように扱われ表記されているのか、筆者が次に知りたいその背景に必ずある筈の我が国の教育施設転換期の均衡した思潮への言及が見られるかも知れない、などと期待も膨らむ。

『※※史』について国立国会図書館のサーチエンジンでデータベースを検索してみると、国会図書館以外に3つの市立と15の県立図書館が所蔵していることが分かった。
そして、その内の一つに我が県立図書館の名前もあった。
その本は巡回車サービスにより市立図書館で受け取れたが、30分の距離を車を飛ばして県立図書館まで出向いた。

久し振りに訪れる県立図書館は改装を終え綺麗になっていた。
その図書館なくして今の筆者はないと言っても過言ではない、その図書館は筆者にとってそんな存在だった。
その図書館で初めて利用者カードを作り、初めて一冊の本を借りた。
それは筆者にとって、自分の起点との対話の場所から、その中で本と静かに対話する場所へと変わった瞬間だった...。

# by finches | 2012-09-07 07:55 | 時間
935■■ 酢橘―九月

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このところ小鳥の為に庭に木の実を撒いてやることが毎朝の日課になった。
雉鳩の番いが毎日その実を食べに来ているが、食べている横を歩いても逃げなくなった。

子供の頃に鳩を飼った経験があるが、その目が余り好きではなかった。
今も鳩の目は好きではないが、ちょっと小さめに感じる雉鳩の目は嫌いではない。
それは表情のない鳩の目と違い、どこか目の奥に表情があるように感じられるからだと思う。

さて、高温多湿な日本は微生物の宝庫で、自家製の発酵液を土に撒くことでそれに含まれる麹菌や乳酸菌などが土着菌と協同して土質の改良を行う、そう信じてささやかな土づくりに挑みそれを楽しんでもいる。
木の周りの草をそのままにしておくことで、根元の土の表面温度を下げる効果もある。
これらはどれも本から得た知識をただ実践しているだけだが、水も肥料も何もやらなくても甘い実を付ける自然の柿を見ていると、そもそも自然の循環の中で全ては回っていけるのだと思えてならない。

酢橘の木の周りもこんな風に草ぼうぼうだ。
草が青々としているということは土には水分があるということで、逆に十分な水を与えないことで酢橘は長く根を張り自ら水を求めようとする筈だ。
この酢橘、来月になれば待ちに待った収穫もできそうだ...。

# by finches | 2012-09-05 08:35 | 季節
934■■ 懐かしの海―九月
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五月蠅かった蝉の声も何時しか消え、朝夕虫の声が聞こえるようになった。
日中はまだ暑いが流石にあのうだるような熱波だけは去った。
空には夏の雲に混じり秋の雲も見られるようになった。

暑い最中にエアコンが壊れ修理に出した愛車は、2週間が経つのにまだ戻って来ない。
そんな日曜日、代車として借りているバンで海を見下ろす高台にある温泉に出掛けた。
昼食は以前から無性に気になっていた雑炊屋に立ち寄り済ませていた。
温泉のある宿はまだ昼食の予約客を席へと忙しく案内している最中だった。

その宿は中学一年の筆者が臨海学校に来た場所で、眼下に広がる大海原も沖に浮かぶ無人島も、緩くカーブを描く砂浜もその両端にある岬も昔のままの姿でそこにあった。
宿への長く急な坂を車で登りながら、この坂を確か午前午後の二回、上り下りしたことを懐かしく思い返した。
それは小学校が異なる2クラス70人の新入生の親睦を兼ねた入学後初めての夏の合宿でもあった。

泳ぎの得意でなかった筆者は海の塩水に助けられたことをよく覚えている。
泳ぎながら見た沖の無人島も、水平線から立ち昇る真っ白な入道雲の記憶も、長い時を経て未だ鮮明に残っている。

海と雲を何枚も写真に収めた。
輪郭濃くもくもくと聳え立つ入道雲も、もう直ぐ弱々しい姿へと変わる。
そして、空じゅうが秋の雲に変わる日がやがて来る...。

# by finches | 2012-09-03 05:50 | 時間
933■■ 祝の島
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前稿の写真は本命の島へと向かうフェリーの後部デッキから撮影したもので、取り上げた島はこの真反対の方向に位置している。
では何故この写真を使ったのかと言えば、遠ざかる島影を見ながらある映画のポスターに描かれた島の形を思い浮かべたからだ。

その映画のポスターに描かれた島の名は「祝島(いわいしま)」、映画の名は「祝の島(ほうりのしま)」という。
「祝」は音で「シュク」、訓で「いわう」、と読むのは周知のことだが、「はふり(ほうり)」と読み、それが本来の「祝」の意味だと知っている人は少ないのではないだろうか。
「ほふり」とは神官や巫女など、神に仕えて祝詞(のりと)をあげる人のことで、「シュク」や「いわう」は、神にめでたいことばを告げる意が転じたものだ。

その「ほうり」がいる島が祝島と呼ばれるようになったらしい。
古代より祝島から姫島、国東への航路が九州へ渡る主要且つ最短のルートで、祝島はその最後の中継寄港地として航海の平安の祈る為の島であったことが島の歴史にも書かれている。

その祝島の対岸4kmに建設されようとしているのがあの上関原発で、「祝の島」はそれに反対する漁民の闘いを描いたドキュメンタリーだ。
原発が出来ればこの海は死ぬ、この海が死ねば瀬戸内海が死ぬ。
それは西日本全域が死滅することを意味している。

現在、上関原発予定地の公有水面の埋め立ては新しい知事により免許失効の措置が取られた。
このまま、祝島とその海が、かつて「祝(ほうり)」がいた頃の静けさを取り戻すことを、心から祈る...。

# by finches | 2012-08-27 05:44 | 信条
932■■ 戦争遺産のある島
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次の日に東京での仕事に戻る家人をある島へ連れて行った。
そこは戦争遺産として特攻基地跡が残る島で、そこを訪れたのは、二つの産業遺産を名も所も明かさずにどう書き進めようかあぐねていて、突然行ってみようと思い立ってのことだった。

海原が見える駅まで歩き電車に乗った。
電車は途中一度乗り継いだ。
島へのフェリーは途中二つの港に寄港し、人と荷物を下ろしながら最後の港へ入った。

30年という歳月は記憶と現実とを随分と違うものに変えていた。
だが、それは島までの記憶の中の景色や港の風景であって、その特攻基地跡は30年前と同じように真っ青な空と、ジリジリと焼け付くような真夏の太陽と、どこまでも続く光り輝く大海原を背景に、暑い昼下がりの逆光の中に濃い静寂の影を作っていた。

記念館での家人は予想と想像を超えた場所に突然連れて来られたことに当惑しながらも、熱心に真剣に資料を目で追っていた。
自ら鐘楼の鐘を打ったのも、この夏一番の、否、これまでの人生で一番の衝撃的な過去との遭遇だったからだろう。

心に深く焼き付いた場所を再び訪れることには意味があると思った。
再来にして深い感動を喚起されるのだから、初めてそれらを目にする衝動と感動は如何許りであったろうと思う。
重かったが、決して風化させてはならないこれも歴史遺産だと、お互いが心に感じたことは確かだろう...。

# by finches | 2012-08-24 06:10 | 遺産
931■■ 電車が案内してくれた産業遺産
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昭和3年(1928)に完成したこの古い建物は今でも現役の事務所として使われている。
84歳のこの建物は純白の衣装を纏い、車寄せを挟んで正面に植えられた蘇鉄が建築の意匠とよく合っていた。

焼成窯を見るために工場の外周沿いに設けられた細道を歩いたことで、敷地内に残る古い建物をフェンス越しに遠望することができた。
それらは明治から大正期に煉瓦を積んで造られた組積造建築で、ドイツの技術を導入した明治期の官営工場共通の建造技術を今に残す貴重な産業遺産であることが分かった。

この建物を見たのは日曜の暑い昼下がりだった。
どこにでもあるような漁港の山手に、どこか周辺とは違う家並みの存在に気付き散策を試みたことで、普段ならば先ず出くわすことのない一両編成の電車と遮断機を介して踏切で出合った。
行き過ぎた電車を目で追いながら、電車に出くわさなければ曲がることはなかったであろう交差点を電車の消えた方角へと曲がり、古い駅舎越しに停まっている電車を再び見つけた。
そして、再びコトコトと走り始めた電車を追っていて、この白い建物と出合った。


かつての漁港の輪郭を感じ取った家並みと町名に残る歴史、一両編成の電車の思わぬ道案内、焼成窯と煉瓦造建築と白い近代建築、それらとの思わぬ出合いを楽しんだ。
それは、何か無性に得をしたように思える、日曜の暑い昼下がりの出来事だった...。

# by finches | 2012-08-22 08:58 | 遺産
930■■ 産業遺産・焼成窯

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六月に行った北海道が一足早い夏休みのつもりでいたが、30度を超す連日の暑さは流石に堪らない。
そこで世間の盆休みに便乗して、半夏休みモードで過ごしている。
だから、朝の8時を回ったこんな時間に、家人が運んでくれたアイス抹茶を飲みながら、のんびりとブログも書いている。

昨朝咲いた布袋葵の花も今朝はもう凋んでいた。
一番大きなメダカの水鉢の中のクレソンの内鉢の浅いプールには子メダカが一匹増えていた。
布袋葵にジッとしている怪しいショウリョウバッタが、実はクレソンの葉を食べていたことが今朝分かり、木陰の涼しい水辺から灼熱の大地に放り投げてやった。
落ち葉を埋めた5つの小穴にかけた土はまだ湿っていて、今朝も辺りの土の色とは明らかに違っていた。
其処彼処に撒いてある雑穀の実を番いの雉鳩と数羽の雀が啄ばんでいる。
そんな平穏な一日の始まりを静かに眺めながら書いている。

さて、今朝書こうとしている本題は産業遺産の焼成窯だ。
ある特定の目的に使用された国内に現存する最古の焼成窯で、明治16年(1883)に建造され後に改造大型化されたものだ。
それでも明治30年代前半の由緒正しい産業遺産として今も保存されている。

今朝、件の水鉢の前の小椅子でこの焼成窯について書かれた4ページの資料を読んだ。
ドイツの技術を導入して造られたもので、屋外に無造作に並べられていた機械には全てドイツ語の社名が刻まれていた。
我が国近代産業の草創期、ここがまぎれも無く一つの基幹産業の始点の地であることに静かな感動を覚えた。

故郷の歴史と文化の濃さをここでも感じた。
次代に継承すべきもの伝承すべきもの、その大切さを改めて思う...。

# by finches | 2012-08-16 07:49 | 遺産
929■■ 布袋葵咲く―八月
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このところ毎晩のように雨が強く降っていたが、今日は久し振りに快晴の清々しい朝だ。
そんな中、毎日のように見ていた筈の布袋葵が淡紫色の花をつけていることに気付いた。
今朝の今朝までその前兆には全く気付かなかったこともあって、突然の花の存在には初め我が目を疑い大いに面食らった。

花を付けた布袋葵は三種あるうちの一番大きな種類のもので、これまで我家の布袋葵は花を付けないというジンクスを見事打ち破って咲いただけに、その驚きと喜びはまた一入だった。
花が咲いたことを家人に告げると、朝食の支度を止めて水鉢に走ったことからも、その驚きたるや如何許りであったかが知れようというものだ。

花が咲いた布袋葵は一番大きな水鉢にあって、他には水草代わりにクレソンを植えてある。
クレソンを植えている内鉢は水深が浅く、子メダカの絶好の遊び場でもある。
この大鉢の前に小椅子を置いてメダカを観察するのを楽しんでいる身としては、そこに布袋葵が花を咲かせたことでその楽しみも倍加するというものだ...。

# by finches | 2012-08-15 09:56 | 季節
928■■ 立ち火鉢
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前稿で炭壺と消し炭のことを書いて、ある立ち火鉢のことを思い浮かべた。
筆者の朧な記憶の中にも、それが診療所であったか、バスか駅の待合であったか定かではないが、確かに立ち火鉢の映像は残っている。
ただ、それらはこれまで火鉢として一括りにされていて、立ち火鉢という独立した呼び名で考えてみることはなかった。
なぜなら、それらは火鉢自体の高さが高いか低いかの違いであって、どれも動かすことが出来て、冬の間だけ持ち出して来て、それは置いて使うものだった。
そして、それは立って使うものというより、椅子に座って使う、そんな冬の調度としての記憶だった。

六月と雖も函館ではまだストーブが手放せない。
そんな函館の千歳坂の傍に出来たギャラリーでこの不思議な立ち火鉢と出合った。
土間に固定されたその不思議な物体に、思わず「これは何ですか」と訊ねた。
そして、その建物が旧質屋であり、この立ち火鉢は質屋の待合というか受付の土間にあったものだと分かった。
質屋の待合には椅子などは必要なく、そこは立ったまま手早く用を済ませる場所であったのだろうと想像した。
床に固定された立ち火鉢も、そんな場所の使い勝手を反映しているように思えた。

質入れの時は手を焙りながら質屋店主の値踏みを待ち、質出しの時は火箸で灰を均したり炭を立てて暖を急いたり炭を寝かせて灰を被せたり、そこにはそんな情景が見えるような気がした...。

# by finches | 2012-08-09 06:01 | 記憶
927■■ 消し炭

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この二日、朝食のために七輪で鰯の干物を焼いた。
干物は自分で作ったものだ。
昔から火熾しにはこだわりがあって、楽をして熾してはならないと思っている。

小さく丸めた紙に点いた火が藁に移り、それが小さく割った竹を燃え上がらせると、タイミングを計って炭をそっと縦にして並べていく。
炭の重さに加え空間を狭められ空気を遮られた割竹は、もうもうと白煙を上げて燻り始めるが、この時丁寧に炭の向きを整えてやらないと炭に火は移ってくれない。

棚引く白煙が風の流れの帯を作る。
それはカーブを描きながら開け放した開口に吸い込まれ北側に抜けていく。
その美しさに見惚れる間もなく燻る割竹を再び燃え立たせるために全ての力を集中して団扇で風を送る。
これが美味い干物を食べたいがための我がこだわりの朝の儀式だ。

市場で一尾150円で買った鰯を干物にする手間、美味い朝飯を食べたいと思う細やかな欲望からたった一枚の干物を焼く手間、そのために時間をかけて炭火を熾す手間、どれも苦ではないが、そのために三個の炭を使うことには些かの後ろめたさもある。
焼こうとする干物よりも炭の方が高いこと、熾した炭を使い切っていないこと、それを勿体ないと思う後ろめたさだ。

あれこれ考えていて、炭壺のことを思い出した。
炭壺で消し炭を作っておけば、突然火を熾す必要に迫られても柔軟に対応できる。
何より朝の火熾しは断然早く楽になるに違いない。

勿体ないという思いから、ふと忘れていた道具を思い出した。
そこには忘れてはならない先人の知恵があった...。

# by finches | 2012-08-07 06:22 | 記憶
926■■ 朝の涼―八月
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昨夜水を撒いて寝たせいか、柿の枝に吊るした温度計は今朝25度を示していた。
出しっ放しだったホースを片付ける前に追っ掛けで水遣りをすると、木も草もメダカもみんな喜んだが、水遣りを終えた途端にあちこちで蝉が鳴き始め、涼しく爽やかな夏の朝の涼は一変して、騒がしい暑い夏の一日が突然始まった。

朝こうして景色を見ながら書くのは楽しいものだ。
水を打った涼気に加え濡れた石は目にも涼しさを運んでくれる。
今朝点けたばかりの新しい蚊取り線香からは一筋の細い煙が上がっている。

一つ難があるとすれば右の耳と左の耳に否応なしに入ってくる蝉の大合唱だ。
その音たるや半端ではない。
夏の朝の束の間の涼、それを蝉が無下にも奪い去った。

八月の蝉は煩い。
うるさいは「五月蠅い」とも書くが、気分は「八月蝉い」というところか...。

# by finches | 2012-08-04 06:18 | 季節
925■■ 青柿と柿渋

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摘果した青柿で柿渋を作ろうなどとその発案は良かったが、それはそう簡単に作れるものではなかった。
何より使う柿からして渋柿でなければならず、例え渋柿があったとしても柿渋を作る恐ろしい手間を考えると、早々に手を引く方が賢明と判断しただろう。

漆と並んで柿渋は古くから作られてきた塗料で、防水防腐効果があると言われている。
青柿の横のボトルは筆者手持ちの柿渋だ。
その横の板はその柿渋を塗った杉板で、雨風(あめかぜ)に当ててその経年変化を観察している。

さて、昨日摘果した青柿を数えたら凡そ70個あった。
それらは手の届く範囲で摘果したもので、脚立を持って来て本腰を入れてやれば500とは行かないまでも300くらいにはなるだろう。
今朝も涼しいうちに少し摘んでおこう。

因みに筆者は柿渋にベンガラを入れて使っている。
とは言ってもまだ試験的なもので、屋内で色がどのように安定して行くのか、その変化を観察している段階だ。

それにしてもこの青柿の使い道はないものか。
忍びなく摘果をしたのだから、せめて数日は目を楽しませてもらうことにしよう...。

# by finches | 2012-08-03 06:16 | 季節
924■■ 柿の実の数
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自然摘果が正しいのか、自然落果が正しいのか、それは知らない。
自然摘果だと、柿の木が適正な量の実を残すために自ら摘果を行う現象のように聞こえる。
自然落果だと、雨風(あめかぜ)天候などの自然現象によって弱い実が淘汰される現象のように聞こえる。

柿の蕾は無数と思える程に付いた。
その蕾が開花した後には同じく無数と思える程の小さな実が付いた。
暫くすると、その小さな実はパラパラと落ち始めたが、これが自然摘果なのではないかと思う。

そして梅雨の頃には実も一回り大きくなったが、この梅雨の時期に今度は自然落果が進むようだ。
不思議なもので梅雨が明けるとその落果も落ち着き、今はほとんど落ちることもなくなった。

その自然落果を地上に落ちたガクの数で数えてみたのだが、その記録が写真の『正』の字だ。
単位は百だから、『正』の一字で五百、それが六つだから全部で三千となる。
これに自然摘果の数を仮に千とすると、自然摘果と自然落果を合わせると四千、否、それ以上となる。
そして、枝に残っている実の数を一枝十個と仮定し、その枝の数を仮に百枝とすると、残っている実の数は千となる。

実際にはこれ以上の実がなっているだろうから、柿は一本の木に五千以上の実を付けたことになる。
もし五千の一割くらいが適正な量だとすればその数は五百となり、その五百を残して摘果してやれば、木にも優しく実も大きい美味い柿の実を秋には楽しめることになる。

そう、柿の木自らが行う自然摘果、次に自然の力を借りた自然落果、そして最後に人の力を借りた人工摘果、この三位一体の連携プレーが美味い実を残す理に適った方法ではないかと一人合点した。

数えにかぞえた三千という数には驚いたが、その数から総量を予想し、そこから適正な収穫量を想定するとは、何と科学的だろう。
そうだ、これから摘果する五百個の実から柿渋を作ってみよう。
柿渋は自然塗料であり薬でもある、正に循環型エコの実践だ...。

# by finches | 2012-08-02 07:28 | 季節
923■■ 気温を観る

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今日は爽やかな風が吹いている、いい朝だ。
柿の枝に吊るした温度計は27度、まだ六時過ぎだが太陽はもう濃い影を作っている。
蝉の鳴き声はマルチに響き渡り、隣家のトラ猫は朝のパトロールに出掛けて行った。

気持ちのいい朝だが今日も暑くなりそうだ。
このところの夏の暑さは半端ではない。
それでも汗を掻きかきの一日は五感が刺激され代謝も人間本来の生理にあったもので、冷房に頼らなければおれなかった東京とは、ヤンキースに移籍したイチローの言ではないが、「180度ではなく、540度違う」、正にそんな感じだ。

木陰とはいえ柿の枝の温度計も最高35度まで上がった。
それを観て、涼しいからと安心出来ないことを実感した。
体感温度は30度を切っていても、気温はちゃんと35度あるのだということを。

水分は小まめに採る。
ハーブ水、紫蘇水、麦茶、煎茶、焙じ茶、番茶、京番茶、どれも手ずから作るのがいい。
暑いが、暑くても、それでも今日もいい汗を掻けそうだ...。

# by finches | 2012-07-31 07:16 | 季節
922■■ 蜂の水飲み―七月

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このところメダカの水鉢の傍に小さな椅子を置いて観察するのが毎朝の日課になっている。
それはだいたい五時から六時の間で、時間にすれば数分から数十分とまちまちだが、とにかくメダカは見ていて飽きない。

昨日余りの暑さに水鉢の上の柿の枝に温度計を吊り下げた。
驚いたことに木陰で風が抜けるそんな涼しい場所でも、温度計の目盛は31℃を指した。
道理で、暑い、はずだ。
風があるから涼しく感じてはいても、気温はしっかりと夏のもので、道理で手に汗が滲むはずだと得心した。

暑くなって仕事場を二階から一階に移動し、庭に面した扉も全部外しているために視界は良好、風通しもすこぶるいい。
疲れると水鉢の傍に座り水分補給をしながらメダカを観察するのだが、疲れも取れその上癒される。

七つある水鉢の左から二つ目の、それも決まった位置に蜂がやって来る。
椅子に座ってそれを見ていると、たまたま通りがかりに水を飲んでいるのではなく、どうやら巣へ水を運んでいるようで頻繁にやって来る。

水鉢の縁の定位置にとまる前のホバリングでワイヤープランツが揺れる。
それはまるで密林に降り立つ怪鳥のようで、普段は感じない蜂の羽圧の力強さに驚かされる。
こちらが何もしなければ蜂は何もしない、だから筆者の周りを旋回して水鉢の定位置にとまり、器用に体を支え、水に顔を近付けて美味そうに飲む。

暑い、暑いが、その暑い夏の片隅で蠢く虫たちの世界はすごい。
虫たちには一分の無駄とてない、その一つひとつがこの地球を育んでいるのだから、何ともすごい...。

# by finches | 2012-07-28 06:09 | 季節
921■■ 梅雨明け
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治療中の歯の違和感に加え夏風邪までひいてしまい、その上このところの暑さでこの数日はなんとなく気の重い憂鬱な気分で悶悶と過ごしていた。
だから、書きたいと思った梅雨明けの瞬間もタイムリーではなくなってしまった。

突然の蝉の一声で梅雨が明けたと思った。
日射しもその日からジリジリとまるで音がするように焼けつくように肌を射る。
突然の雨も鬱陶しい湿った梅雨の雨からサッパリと乾いたような夏の雨に変わった。
梅雨の間は少しの雨でも傘をさしたが、夏の雨はなんとなくその中を歩きたくなるから不思議なものだ。

脱ぎ捨てられた蝉の抜け殻が至る所に置き去りにされている。
こんな土の中にどうやって生み付けたのだろうと思うような場所にもそれはあったりする。

抜け殻からの初飛行に出くわしたこともある。
一瞬のうちに音もなく体をかすめて飛んで行ったものが蝉だと分かったのは、そこに蝉の抜け殻が残されていたからで、まだ鳴くことを知らない若蝉はきっとまだ柔らかい体で、羽だけがやっと乾いた状態で突然の人の気配に逃げるように飛び立った、それは決死の初飛行だったに違いない。

初蝉の一声を合図にそこら中から蝉の大合唱が始まった。
それははっきりと分かる梅雨明けの合図だった...。

# by finches | 2012-07-26 06:54 | 季節
920■■ 図書館の日
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別に決めているわけではないが、我が家には図書館の日がある。
それは気が付くと月二回、二週間おきの土曜日で、今のところこのペースがちょうどいいと思っている。
図書館の日というのは母に借りて来た本を図書館に返し、新しい本を借りて来る日で、このところやっとこれが軌道に乗ってきたと感じている。

高齢の母はほとんどの自分の蔵書を処分し、目も悪くなったことで本を読みたいと思う気持ちも萎えていた。
ところがある日、筆者が図書館から借りていた古事記を読んだことで、元来の本好きの血が騒ぎ出した。
ならばと、次は日本書紀に関する本などを数冊借りてみると、それを楽しそうに読み終えた。

その日を境に、母の読む本は筆者の図書館カードで借りるのを止め、早速母専用の図書館カードを作った。
杓子定規な書類や手続きや無理な決まり事は全て図書館員と談判してクリアーした。
本を借りるときは図書館に行くことができない母の代行を筆者がすることで、母の図書館カードには小さな星印が付けられている。

次は、家人の手を借りて借りたい本を自分で検索する練習を繰り返し行った。
習うより慣れよ、何も難しいことはないのだと分かれば、自らの意思で自由に航海できる本の海が待っている。
今はまだ無理だが、母のiPadで自分の読みたい本を検索し、予約を入れるところまで自分でできるようになることを目標にしている。
カウンターで母の図書館カードを差し出し、母の予約した本を受け取って帰るだけというのが筆者が考える最終形だ。

母の本を借りた日に筆者も自分のカードで一冊の本を借りた。
芥川賞全集・第五巻の中の一作を読みたかったのだが、ついでに何作か読んだことで筆者が苦手意識を持っていた二人の作家への敷居も幾分低くなった。
我が家の図書館利用、それはこんな風に自由に、そしてスローにすすむ...。

# by finches | 2012-07-21 05:13 | 時間
919■■ 蜘蛛の巣
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何日か前の朝霧の小さな水滴が蜘蛛の巣のシルエットを鮮やかに浮き上がらせ、それが余りに綺麗だったので写真に収めた。
それは言葉に出来ないくらい幻想的で、霧滴は蜘蛛の巣の糸の一本一本をまるで透明な空間に浮遊するオブジェのように浮き上がらせていた。

これまで蜘蛛の巣は、二次元の網糸を空間上に広げた状態で保持するために、その最外周の糸を何点も周囲の枝や葉から引っ張っているものだと思っていた。
勿論、もっと複雑に入り組んでいるものもあったが、それは破れの補修を繰り返す中でそうなるのだと思っていた。

一重の蜘蛛の網が風に揺れているのを見ても、風が抜ける構造、糸の粘り、そしてしなやかな柔軟さが風に抵抗し風の力を吸収しているものだと思っていた。
だが、霧滴が作り出した蜘蛛の巣のシルエットは一重の単純な網ではなく、それが面外方向のどちら側への変形に対してもメインの網を保持するために、垂直に張られたメインの網をそれと直交する面外方向に吊り構造で引っ張っているメカニズムがそこにあることを知った。

蜘蛛の糸についてはマサチューセッツ工科大学の研究がある。
蜘蛛の糸は絹のように見えても実は鋼鉄や強靭な炭素繊維よりも強いそうだが、引き裂かれた後も巣全体が落ちずに済むのはどうしてなのかというものだ。
その研究によると、蜘蛛の糸には2種類あって、1つは巣の中心から外へ向かって螺旋状に張られている粘着糸の横糸で、伸縮性が高く湿り気があってベトベトして獲物を捕らえる役割を果たし、一方、車輪のスポークのように巣の中央から放射状に伸びる縦糸は、乾いていて堅く巣の構造を支えているそうだ。
そして、クモの糸の分子構造は不定形タンパク質と秩序立って並んだナノスケールの結晶という独特の組成をもっていて、ここに外圧がかかると弾性変形の範囲を超えると次にたんぱく質の変性が起こり、これらが複雑に作用し横糸と縦糸が衝撃吸収の際に異なる役割を持つことで巣の一部が破れても穴が広がらないということだ。

蜘蛛の糸の優れた組成はこの研究で分かるが、それより何よりその成分の異なる糸を巧みに操り、頼るものは最初の始点しかないにも係わらず、空中の空間に三次元の網を掛け渡し、更にそれが三次元に補強されているのだから凄い。
お陰で、筆者の自然観察に蜘蛛の巣が加わった。
だが、ほどほどにしておかないと歩き難くて仕方がない...。

# by finches | 2012-07-20 08:21 | 空間