888■■ 新しいノートブック
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今日からオークションで落札した新しいノートブックで書いている。
新しいと言っても中古品で、今まで使っていたものより機能もスピードも随分と進化しているが、「もの」としての質感や触り心地は古いものの方が勝っている。

OSをアップデートしているせいか、元来このノートに備わっていた優れたユーティリティソフトであるホイールパッドが削除されていて使えず、メーカーサイトからのダウンロードも考えたが、どのような過程を経てアップデートされているか分からないパソコンをいじると、他のトラブルが生じる可能性もあり、思案の末届いたままの状態で使うことに決めた。

こんなこともオークション出品者にクレームとして申し出る落札者もいるだろうが、それはそれ、新品ではないのだからそんなリスクも受け入れた上で入札はすべきだと考えている。
筆者にとって重要でも、他の人が落札したらそれは気にもならない問題ということもある。
そんなことをいちいち出品者に文句を言ってはいけない、これもオークションにおける一つのマナーだと思う。

出品者からゆうパックで発送された荷物は、手元に届くまでをネット上で追いかけて待った。
出品者は愛知県岡崎市在住で、入金を確認出来次第直ぐに送れるように出張先まで梱包を終えたノートを持ち回ってくれたのだろう、荷物の引受は松本巾上郵便局となっており、そこから松本南支店を経由し、O支店、S支店、U支店を経由して手元に届いた。

民間の宅配便なら中継地は一つかぜいぜい二つだが、郵便局は三つの中継地を経ており、これだけみてもまだまだ効率化を図れる余地はあると思った。
だが、引受から到着まで30時間だから、かつての郵便局からすれば格段の進歩だと思った。

新しいノートブックには直ぐに慣れるだろう。
それは新しいノートブックにこちらが合わせればいいだけだ...。

# by finches | 2012-05-13 06:43 | 無題
887■■ れんげ-五月

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椿、水仙、桜、れんげ、紫陽花、朝顔、露草、コスモス、季節の花としてこれらが頭に浮かぶ。
中でも、春のれんげ、夏の露草、秋のコスモス、これらが遠い子どもの頃の記憶の中に、なんて綺麗なんだろうと思ったことが鮮明に残っている。

東京での暮らしの中ではれんげを見る機会はなかったが、化学肥料に頼る昨今ではれんげの種を蒔くことも無くなったせいもあるだろう。
一年を暮らした島でれんげ畑を見た時に、思わず絵の具と和紙を持参して、れんげ畑の真ん中でその絵を描いたことが昨日のように思い出される。

東京を離れて初めての春、決して多くはないが時々こんなれんげ畑を目にする。
れんげ畑の中に寝そべり大の字になって青空を見上げたい衝動に駆られるが、そこはじっと我慢をして通り過ぎる。

昔、れんげ畑は牛に鋤を引かせてザックリと耕された。
れんげは下になり、下の土は眠りから覚め太陽と風に触れて蘇った。
暫くすると、水が入れられ田植えの準備が始まった。
その一連の始まりをれんげが知らせてくれていたように思う。

蛇が怖いから中には入らないが、れんげ畑の直ぐ傍まで行って写真を撮った。
もう花は終わりを迎えていたから、田んぼに水を入れる時期が近付いていると思った。
静かに繰り広げられる自然の営みを美しいと思う...。

# by finches | 2012-05-12 06:32 | 季節
886■■ ノートブック-つづき

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文章を打つ為にだけ使うノートブックは中古品でいいという想いでオークションに臨んだ。
昨夜は入札終了時間までの2時間が待てずに、ここまでは出してもいいと思う金額を入札金額としてプールして眠った。
そして今朝その結果を見てみると、それより2千円高い金額で落札者が決っていた。

勿論、その金額なら筆者も出しただろうが、オークションは自分で上限を決めて臨む方がいいと考えている。
そして、落札できなくてもくよくよと考えない。
その時はそれこそが出物と思っていても、自分の探している条件に叶う次なる出物は見つかるものだ。
筆者も今朝布団の中で早速次なる出物を見つけたが、落札終了時間までは後二日残っていて、今度は終了時間の30分前から入札に加わろうと作戦を決めた。

欲しいノートブックの条件はパナソニックのLet’snoteで、この液晶サイズ12.1型のものだ。
OSはXP以上であれば特に問題とはしない。
筆者がノートブックにパナソニックを選ぶのにはもう一つ訳があって、伝統のトラックボールがホールパッドというポインティングデバイスに受け継がれていることだ。

小さくて、軽くて、操作性が良くて、他のメーカーとは一味も二味も違うもの作りのコンセプトが生きている。
このノートも机の上で使うには余程のことがない限り電源が落ちることもないのだが、やはり本は好きな姿勢で読みたいように、使う場所が限定されるのではノートの魅力は半減する。

さて、次は何としても落札しなくては。
机に向って書くのもたまにはいいが、やはり膝の上で書くのが小文には似合っているから...。

# by finches | 2012-05-11 06:01 | 無題
885■■ ノートブック

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最新機種だったこのノートも随分とお古になった。
最近はその負担を軽くしてやるために、ほとんどのソフトを削除し、このブログを書くための専用として使っていた。
だが、電源プラグの接触不良から、膝の上に載せて使うことがとうとうできなくなった。

軽くて小さくて膝の上にピッタリ納まるノートは、ブログを書く時の定位置であるソファーに座ってキーを打つのにピッタリで、肘掛に置いた電子辞書とスツールに置いたiPadと共に本当に使い易い環境ができていた。

一念発起して新しいノートをマックにした手前、ブログ用のノートが壊れたからといって同じ機種の新品を買う訳にもいかない。
だから、中古の出物を探しているのだが、そもそも文字さえ打てればいいのに、このノートも傷だらけなのに、中古とは言え手に入れようとすると少しでも状態のいいものをと、つい思ってしまう。

恐らくオークションで手に入れることになるだろう。
早ければ、今日にでも...。

# by finches | 2012-05-10 03:36 | 無題
884■■ 電子辞書

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連休三日に電子辞書が届いた。
これでやっと家人に贈った電子辞書を借りずにすむ、自分だけのものを手にした訳だ。

因みに大きい方が家人のもの、小さい方が筆者のものだ。
勿論、前者の方が上級機種にあたる。

最初は同じものを注文するつもりでいたが、いざ注文という際になって必要とする辞書さえ入っていれば事足りると思い直し、コンパクトな機種に変えた。
今までだと性能が劣る方を選択することはあり得なかったが、求める機能に遜色さえなければシンプルな方がいいと、考え方も変わってきた。

二つに共通しているのは俳句の辞書が入っていることだ。
家人のものには「現代俳句歳時記」「ホトトギス俳句季題便覧」「合本俳句歳時記」の三つが入っていて、筆者のものには最後の一つが欠けているが、そんな差は仕方ないと諦めればすむことだ。

家人には自分のものを持たなければ駄目だと言っておきながら、その本人は自分のものを持っていなかった。
だから今自分のものを手にして、ひしひしとその恩恵を感じている...。

# by finches | 2012-05-08 05:35 | 無題
883■■ 連休の過ごし方
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連休中に予定していたことで拙宅への友人の招待と、ある歴史的な往還を友人たちと歩くことは流れた。
連休中に予定していたことで友人の引越しの手伝いと、図書館で借りた吉村昭自選作品集の一巻を読むことと、かつての海岸線の位置を調べ歩くことと、ある発酵液を作ることは何とかやり遂げた。

最も大変だったのは一週間をかけての発酵液作りで、温度を一定に保つ為に取り寄せたヒーターが不良品でその交換に時間を要したことで、初期の発酵が思うように進まなかったことには苦労した。
だが、連休最後の昨日は出来上がった発酵液を早速試してみたが、かけてもらった柑橘や柿やハーブやトマトやズッキーニたちは、みんな気持ち良さそうに見えたから、自己満足の世界とはこわいものだ。

図書館で借りた本は、発酵液を作る20リットルの水缶の前に胡坐をかいて、時に温度計を見ながら、時に発酵の様子を覗きながら、時に匂いを嗅ぎながら、短編4つを読んだ。
かつての海岸線の位置については2日間自転車で8キロ先の街並みをあれこれと視て歩いた。
街はちょうど五月祭りの最中で、探索の行き返りには祭りに立ち寄ってその雰囲気も楽しんだ。

そうそう、庭の草抜きもした。
筆者が自分の管理下においている柿の木の一角は筆者にとっての実験場でもあり、草も大切な生態系の一部としてそのままにしているものだから、それを遠目に見ている母と家人が何やらヒソヒソ話をしていて、家人などはその禁断の園の草をこっそり引き抜いているところを筆者に発見され厳重注意を受け、慌てて言い訳をしてしどろもどろになったりした。

だが、草が生えるままに野放図にしておくのと、それを野趣と思うのとは少し違うと思い直した。
だから必要な草は残し、荒ぶれた印象を相手に与える草は抜いて一応の体裁は整えた。
お蔭様でいい雰囲気になってきた。
そんなこんなで、連休は天気なりに、それなりに、毎日を満喫した...。

# by finches | 2012-05-07 06:01 | 無題
882■■ 川の流れ
b0125465_9454597.jpg 写真は北アルプスを望む高原川



北アルプスの主峰に繋がる山々を水源とする蒲田川は、乗鞍岳北麓を水源とする高原川と奥飛騨温泉郷の入口栃尾で合流する。
共に知る人ぞ知る清流だ。
そして、高原川は神岡の北端で宮川と合流して神通川と名を変え、富山平野を下って日本海へと流れ出る。

神通川は連綿と数多の恵みを流域の人々に与え続け、その自然の恵みを享受することに何の疑いも持たなかった人々を鉱毒公害が襲い、農地は汚染され人々は病苦に苛まれた。
カドミウム汚染による世に言うイタイイタイ病で、四大公害の一つとされている。

先月下旬に富山市友杉に富山県立イタイイタイ病資料館がオープンした。
そして、改めてその苦悩の歴史を読んで、一本の川の流れに纏うように暮らす人々の、そこから逃げることのできない運命について考えさせられた。
被害を被ったのは神通川下流域に暮らしていた人々で、廃液を垂れ流し続けた汚染源は上流の神岡にある三井金属神岡鉱業所だった。

北アルプスを水源とする清流が次第にひとつの太い流れとなって渓谷を下り平野を走り海に注ぐ。
神岡の町は潤い神岡の人々がその繁栄を享受していた長い年月の裏側で、清流に垂れ流し続けられた廃液は下流の扇状地を汚染し、土に蓄積し、農作物を通して人の体を蝕んでいった。

イタイイタイ病裁判の判決には次のように書かれているそうだ。
「河川は古来交通かんがいはもちろん、飲料その他生活に欠くことのできない自然の恵みのひとつであって、われわれはなんらの疑いもなくこの恵みにすがって生きてきた。神通川ももとよりその例外ではない。」

筆者の頭の中で、この不条理は福島第一原子力発電所の人災事故と重なった。
当然の対策の義務を怠った報いが、なんら罪のない人々に牙を剥いたことだ。
こんな不条理が許される筈がない。

そして、川の流れにその運命を翻弄されながらも、変わらずに流れ続ける川に、ノーマン・マクリーンの「A River Runs Through It (マクラーレンの川)」が重なった...。



追記
1976年にイタイイタイ病対策協議会が建設し運営をしている清流会館(イタイイタイ病資料館)がありますが、上記富山県立イタイイタイ病資料館として統合されたものではないことを電話で確かめました。
清流会館の住所等は以下の通りです。
  〒939-2723 富山県富山市婦中町荻島584
  電話 076-465-4811
# by finches | 2012-05-03 03:40 | 記憶
881■■ CAVIAR
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バレンタインで貰った4つのチョコレートのうち、まだ2つが残っている。
一つはDEMELで、もう一つがこのCAVIARだ。
引き出しの中に入れてあるものだから普段は忘れていて、時々思い出しては食べている。

CAVIARのパッケージのデザインは、その名の通りキャビアだ。
黙って出すと本物のキャビアと思ってしまいそうな、そんな遊び心が楽しい。
勿論粒は大き目だが、キャビアに見立てた粒状のビターチョコレートが缶いっぱいに入っている。

二つの味を比べると、DEMELはミルクでCAVIARはビターだから、形による食感の違いも然ることながらその味は全く異なる。
因みに筆者の好みはビターよりミルクだ。

そう言えば以前にカカオ100%のチョコレートを買ったことがあるが、その極限のビターの味は決して美味いものではなかった。
だから残りのカカオ100%は、函館の港を一望できるベランダに花火の日にセットしたテーブルに並べた料理の一つの、チョコレートソースとして使ったような記憶がある。
確か、鴨とオレンジに合わせたソースだったような気がする。

DEMELミルクとCAVIARビターの味は全く異なるが、DEMELミルクには全粉乳が加わる以外、後の成分は全く同じだ。
因みにその後の成分とは、カカオマス、砂糖、カカオバター、乳化剤、香料の5つだ。

同じものを使っていながら味も食感も無限に創り出せる。
それはまるで食や暮らしや人生ようだ...。

# by finches | 2012-04-29 05:27 | 嗜好
880■■ 手紙
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筆者がまだ青かった頃、文通などという黄色い世界に嵌ったことがある。
相手からの手紙はいつも10枚も15枚もビッシリと書かれていて、それを読むだけで疲れたことを懐かしく思い出す。

今はもう見なくなったが、ある有名なブログもその長さには圧倒された。
3000字くらいは日常で、5000字でも6000字でも、またそれ以上でも、兎にも角にも長文が延々と続き、それを読むだけで疲れ果てた。
そして、それを読むたびに、「1/3にまとめろよ!」といつも思った。

手書きの手紙は今だに苦手でなかなか書くことはない。
スラスラと手紙が書ける人が羨ましいが、これがどうにも書けない。
手紙の場合、書こうとしている一段落くらいは頭に浮かんでいて、それを忘れないように一気に書かなければならないが、浮かばない上に浮かんでも書いている途中で忘れてしまうからどうにも始末に悪い。

だから、筆者の場合どうしても手書きの手紙を書かなければならい時は、PCで書いたものを書き写す無駄な手間と労力を伴う。
それでも字が斜めに登って行ったり下がって行ったり、誤字など書こうものならそれこそパニックに陥る。

昨今はメール隆盛の時代だ。
メールを手紙のように書ける人は羨ましいが、いくら気を遣って書いたつもりでもメールの文章は独断的、断定的になり勝ちで、本意とは違う誤解を相手に与えてしまうことが多い。
そんな失敗は山ほどもある。

だからメールでもちょっと長くなると、PCで書いたものをPDFファイルに変換して添付するようにしている。
これで手紙に近づけようとしている訳だが、それ程までに気を遣っても手紙と同じにはいかないのが悲しいところだ。

メールに欠けていて手紙に備わっているものは何かと考えた。
それは、相手を思いやる、相手を気遣う、相手の立場をおもんばかる、相手にへりくだる、そんな気持ちではないかと思う。
そして、何より書き手の温もりが文字に行間に溢れていることだろう...。

# by finches | 2012-04-28 03:35 | 無題
879■■ 聴診器の音
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実はこの聴診器、木が水を吸い上げる音を聞く為にと家(うち)にある。
新緑が日に日に大きくなる林の中で、これを木に当ててみようと今机の上に置いてある。

いつかテレビで見たのか、広葉樹が水を吸い上げる音というのに興味を持って、聴診器を欲しそうにしていたら、誕生日かクリスマスかに家人がプレゼントしてくれたものだ。
胸に当て心臓の音を聞いてみると、微かにその鼓動が聞こえてくる。
木に当てると、確かにゴーゴーという音が聞こえ、これが水を吸い上げる音なのだろうかと思った。

早春の森でブナの幹に聴診器を当てて、木が水を吸い上げる音を聞く試みが新聞や雑誌に掲載されたり、一時期森林インストラクター達が木に聴診器を当てて水を吸い上げる音を聴かせることがはやったりした。

あのゴーゴーという音が水を吸い上げる音なら、枝先や葉から噴水のように水が噴き出しそうな気がした。
もし心臓の鼓動のように、それが微かな音として聞こえていたら、これが木が水を吸い上げる音かと思ったことだろう。
だが、ゴーゴーという音に、聴診器が悪いのではと、聴診器のせいにしてその後ずっと取り出すこともなくなっていた。

木が吸い上げる水の量、そのスピード、そして水の通り道である針葉樹でいえば仮道管、広葉樹でいえば道管のサイズからして、その音を聴診器で聞くことは不可能なようだ。
ならば、あの音は一体何なのか。
あの音はアンテナのように木が拾った、森の音や小鳥の鳴き声、枝葉の揺れる音や木に当る風の音、小川や地下の伏流水の音、それらが合成された音らしい。

夢は破れたが、木がアンテナとして拾ってくる林や森の音を聴くのもいいものだと思い直した。
木がアンテナなら、木の種類や木の高さ、真直ぐに高く伸びた木か地に這うように枝を広げた木か、それらによっても聞こえる音は違うかもしれない。
そして、木は水に向って枝を伸ばすから、水面に伸びた枝先からは湖の音や魚の泳ぐ音も聞こえるかもしれない。
但し、その音はあくまでゴーゴーだろうが...。

# by finches | 2012-04-26 04:18 | 季節
878■■ iPad Haha

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iPad HahaのHahaは母のことで、つまり母のiPadという意味だ。
iPad Hahaのカスタマイズとアップデートはすべて筆者のPCで行っている。

「何もしていないのにおかしくなった」とか、「何もしていないのにあれが消えた」とか、そんな質問には一切答えない。
そんな時は預かって最新の状態に同期して返してやるが、説明などはしない。
習うより慣れろで、優しくはしないと決めている。
「獅子は我がHahaを千尋の谷に突き落とす」の精神で臨んでいる。

iPad Hahaの画面には筆者がチョイスしたアプリを分り易く並べてある。
例えばマップとGoogle Earth、天体の動きが分るSolar Walk、月の状態が分るDiana、天気が分るそら案内、音声検索ができるGoogle、筆談ができるHitsudan Patto、暦が分るこよみ、そして筆者が選んだ高齢者優良ゲームだ。

ゲームは頭を使って考えることを必要とするものが中心だ。
ちょっと変わったところでは、俊敏性や咄嗟の判断を求めるようなものも選んである。
勿論、気楽に楽しめるトランプゲームやオセロなども忘れてはいない。

このiPad Hahaを使いネット検索も自力で出来るし、このブログも毎日読んでいる。
iPad Hahaで可能性を呼び覚ますこと、新しいものや未知なるもへの飽くなき関心と興味を抱かせること、そんなことを考えている。

年を取ったが、まだまだ新しいものへ目を輝かせている。
だから、iPad Hahaを最新の状態に同期しておくことは怠らない...。

# by finches | 2012-04-25 05:49 | 無題
877■■ 通用門改め、樋門
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湖に流れ込む近代化産業遺産T用水の存在に気付き、それが地図の上から突然姿を消していることに興味を抱き、その全ルートを無性に知りたくて調べを始めた。
そして、小学生の目には不思議で異様な構造物に映っていた川を跨ぐ水道橋が実はこの用水の水橋だったことを知り、その構造物が逆サイホンとサイホンを応用して水を対岸に渡す為のものだと分った。

落差の少ない行程で水を流す技術は江戸時代の玉川上水や神田上水で知っていたが、このT用水も高低差の少ない上流のダムからこの湖までを複雑な揚水方法を駆使して、時に地上を流れ、時に隧道に姿を変え、時に地下に消える、そんな上下を繰り返しながら水を流す技術の高さが感じられた。

そして、この湖から地下埋設管で運ばれるルートと、その出口となる工場も付き止めたが、湖からのT用水の出口については「あそこの、あれだろう」くらいに、然程興味を抱くこともなかった。
だが、桜を見た帰りに地下埋設管の第一マンホールと湖間の開渠を見ながら歩いていて、それが隧道で湖に向って姿を消す方向に見たものは、筆者が想像していた「あそこ」とは全く違う方向を指していた。

隧道の先には、またしても小学生の目には不思議でならなかった構造物があった。
あの頃から何十年も、今の今まで一体何をするものだろうと思い続けていたものが、T用水に水を送り出す為の樋門だということが分った。
道路側にはいつも閉まっている門があって、それは公園の通用門だと思っていた。
だが改めて良く見るとそこに書かれていたのは「通用門」ではなく「樋門」だということが分った。

更に、その場所の土手が灌漑用の湖を造る為に300年前に浅い谷を閉め切る為に造られた土手そのもので、その土手の上を通って中学にも高校にも通っていたことにも驚かされた。
そして、この土手の建設こそが今のこの町の礎であり、そこから流れ出るT用水はこの町の発展の礎であることが、300年前の土手で交差し交錯していた。

湖に流れ込む小さなT用水に気付いたことで思わぬ発見が幾つもあった。
そして今、これまで当たり前のように見ていたこの湖の深く長い歴史に驚愕すると共に、先人の仕事に心より敬意を抱いた。
そして又、これらのことを正しく後世に伝え遺すことが、今を生きる者としての務めだと思った...。

# by finches | 2012-04-24 04:26 | 遺産
876■■ 日曜日の午後-飛行機雲
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「日曜日の午後」最後の副題に飛行機雲を選んだ。
柿の木の下の酒膳を片付け大空を見上げると、大分西に傾きかけた太陽を反射して輝く飛行機雲が伸びていた。
それは日曜日の記憶の最後に鮮やかに焼き付いている映像で、この飛行機雲を思い出す度にその日一日のことを思い出せるような気さえする。

この一週間、日曜日の午後のたわい無い出来事に7つの副題を付けて書いてきた。
時間にすればせいぜい5時間足らずのことだが、その中の一瞬を切り取ってみるのと、逆に7コマに切り分けてみるのとでは、同じ一日でも随分と違った印象に感じるから不思議なものだ。

ところで飛行機雲だが、筆者はダラダラと長く尾を引く飛行機雲で、最後の方は風に流されてヨタヨタ・ヨレヨレしているようなものは好きではない。
冷たい空気を切り裂いていく飛行機がつくり出す飛行機雲は見ていて飽きないが、この写真のように終わりが短くそれが太陽に輝いているのに出合うことはそうざらにはない。

それは、まるで輝く彗星の尾のようだ。
そして、その輝きは春の陽気の中で楽しかった午後のひと時をまるで象徴しているかのようだった...。

# by finches | 2012-04-22 05:59 | 無題
875■■ 日曜日の午後-笊豆腐

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日曜日の温泉はどこかに出掛けた帰りに立ち寄ることが多い。
普段は我慢をする豆乳のソフトクリームも日曜日だけは何か特別な日のような気がして、ぺろぺろと舐めながら温泉で火照った体を冷ます。

日曜日の午後に副題をつけて書いているのはみんな先週の日曜日のことだが、この日は珍しくただ温泉に入るだけの目的で二時をまわったあたりから出掛けて行った。
そして、その帰りに豆乳ソフトを食べ笊豆腐を買った。

この日は穏やかないい天気で、温泉から帰るやそそくさと準備をして柿の木の下に小さな酒膳を設えた。
笊豆腐は春キャベツを一枚ザックリと敷いた上に、小さなお玉で笊からすくって置いた。
醤油は湯浅の溜まり醤油、ビールは朝日復刻ビール、膳は函館の友人が送ってくれた某お寺で使われていた朱塗り盆で、大豆の味を楽しみながら、一口目は何もつけず、二口目は醤油をつけて、三口目からは時に何もつけず時に醤油をつけてその味を堪能した。

暫くすると隣家で庭を掃く音がし、蜜柑の葉に隠れてこちらからは見えないが、恐らく覗き込んだのだろう、隣家の主から「こんにちは、いい天気ですね、私も一杯やりながらやってます」と声がかかった。
別に隠れて飲んでいた訳ではないが、立ち上がり挨拶を交わし、隣りの庭を覘くと、紙パックにストローを挿した日本酒が置かれていた。

二つのビールを開けたが、別に酔うこともなく、出始めた柿の若葉を下から見上げながらの真っ青な空は綺麗だった。
その日はアルコールを抜こうと決めていたが、春の陽気に誘われてビールを開けた。
だが、その夜は頼んでおいた茶粥の味をおとなしく堪能した...。

# by finches | 2012-04-21 05:26 | 無題
874■■ 日曜日の午後-ホテイアオイの再生
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メダカたちは何度も氷を張った寒い冬を乗り切り元気に泳ぎ回っている。
7つの水鉢の内、右の大きい水鉢には白メダカ、その左の小さな水鉢には青メダカ、その上の水鉢には黒と黄メダカのブチがいる。
この大きな水鉢は一番数の多かった白メダカのために一番大きなものを宛がったものだが、残念ながらこの大きな水鉢のメダカだけが春になってみると数を大きく減らしていた。

こうやって写真を無造作に撮ってみると色んなものが映っているものだ。
水を補給するための鉢やカップやタッパ、仮に植えてあるハーブの数々、そして何故か筆まである。
写真に写っていない左側には更に3つの水鉢があるのだが、筆者は毎朝メダカたちにエサをやり終えると、まるでドラム奏者にでもなった気分で、これらの水鉢の前に低い小さな腰掛を持って来て座り、彼らを飽きずに眺めるのを日課としている。

これらの水鉢にはもう枯れて腐ったように見えたホテイアオイをそのまま残しておいた。
春になればもしかして新しい芽を出すかもしれないと思ったからだ。
その微かな兆しは黄メダカが泳ぐ水鉢のホテイアオイに見られ、それは微かな緑の色味を残滓(ざんし)に変貌した中に感じ取った。

東京から持ち帰った水鉢だけに釉薬がかかり、それ以外は素焼きだったが、この素焼きの水鉢のホテイアオイからはみんな新しい芽が出て来ている。
ホテイアオイが再生したら、汚い部分は綺麗に取り除いてやろうと見守っている。
この枯れて腐ったような汚らしい残滓さえも、新芽を揺りかごのように優しく守っているのだろうと思う。

水鉢の中の生き物たちの小さな世界にも自然の偉大な循環と再生のドラマを見ることができる。
自然はドラマティックな驚きの連続だ...。

# by finches | 2012-04-20 05:36 | 無題
873■■ 日曜日の午後-大樹の落ち葉

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柿の若葉が日に日に大きくなっていく一方で、柑橘は毎日のように葉を落としていく。
秋に葉を落とす落葉樹に対して、常緑樹は葉を落とさないようなイメージがあるがそうではない。
木自体が代謝を続ける限り、常緑樹と言えども古い葉と新しい葉は一年から数年で入れ替わる。

季語にも春落葉というのがあるが、晩春の落ち葉を言うのだろ。
秋は落葉と書きたくなるが、春は落ち葉と書きたくなる。
不思議なもので散り行く落ち葉でも、紅葉の有る無し、葉の落ち方、季節の明るさ、などなどでその印象は随分と違うものだ。

秋の落葉は有無を言わさず切り離され散り急ぐが、春の落ち葉は新生のためで別に急ぐ必要がない余裕からダラダラと落ちる。
どちらが好きかは好みの問題だが、春の落ち葉に改めて気付いたことは自分にとっては大きな発見だった。

それは柑橘の落ち葉を見ていても気付かなかったが、温泉の駐車場脇にある大樹の落ち葉が車に降り注ぐ様に、常緑樹は春に葉を落とすのだということに気付いた。
その一年を通しての大自然のゆっくりとした代謝に驚くと共に、自然とは偏らず万物にその見えない恩恵を与え続けていることにも感動を覚えた...。

# by finches | 2012-04-19 05:02 | 無題
872■■ 日曜日の午後-温泉への山道
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この山道をある掛け流しの温泉に通って三日に二日通る。
三日に一日は近場の温泉に行く。

前者は不定休で行って休みの時もある。
前者の常連たちはそれに不平を言っているが、筆者は一向に気にしない。

東京の根岸にフライフィッシングのプロショップで沢という店がある。
そこも不定休で、今もそう書いてあるかは知らないが、休みは「店主が釣りに行く日」と書いてあって好感を持ったものだ。

不定休とするからには温泉の主人にもそれなりの訳があるのだろうと思っている。
そんな都合も受け入れて名湯の泉質を楽しむのもいいではないかと思う。

この山道が好きだ。
冬の装いから日々変わっていく草木を見ながら、山が笑い山が語りかけるこの山道を疾走するのが好きだ...。

# by finches | 2012-04-18 04:09 | 無題
871■■ 日曜日の午後-桜と鯉のぼり
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寒かったせいで桜の開花も遅れ、花を散らす雨や風も然程深刻ではなく、今年の桜は春のそよ風にひらひらと花びらが舞い、後を追いかけてきた若葉も散り行く花との程よいバランスを保っている。

そんな一本桜の横で気持ち良さそうに泳ぐ鯉のぼりに思わず車を停めた。
若草は土手の形に忠実に柔らかく優しく蔽い、その土手の上に人家から離れて立てられた鯉のぼりが大空に悠然と泳いでいた。

それは桜を借景にした見事な配置で、子どもの成長を祈る家族の思いがこの大きな鯉のぼりを毎年この場所に立てさせてきたのだろうと、その家の長い歴史を想像した。
そして、子どもたちがこれからどんな場所でどんな生き方をしたとしても、この鯉のぼりの記憶は生涯消えることはないだろうと思った。

道ができ、宅地が造成され、かつて分校しかなかった山奥に今では大きな小学校ができた。
この家の子らもその小学校に通っているのだろう。
だが、まだ大きな道もなかった頃から、ここから鯉のぼりは小さな道を分校へと通う子どもたちを見ていたのだろうと思った。

その光景はそれはそれは美しいものだったろう...。

# by finches | 2012-04-17 04:33 | 無題
871■■ 日曜日の午後-愛車
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車検から戻った我が愛車は1993年製。
もう20年も経ったが今だ古さを感じないし、乗り心地も運転のし易さも新車の時と変わらない。
燃費は悪くエアバックもないが、車作りのしっかりとしたコンセプトを実感する。

2日間代車に借りたトヨタと比較すると、同じ車でもこれ程違うものかと思う。
車を単に場所から場所へ移動する手段として捉えるか、場所から場所へ移動する間の時間と質を共有するものと捉えるか、その違いによって車選びは分かれるように思う。

必要のない性能や装備の羅列にうんざりする前者に対し、後者はただ車作りへの考え方、今でこそ当たり前のように言われているが環境問題への取り組み、メインテナンスや見えない部分への配慮、安全と人間工学的なレイアウトなど、そんな車作りのコンセプトに共感を持った。

ゴミ出しに随分酷使した車を綺麗に掃除して車検に出した。
車検と整備を終えた車の操作性はタイトで、その安心感が心地よく、エンジンの音まで生まれ変わったように快適に響いた。

今日から『日曜日の午後』を枕に、昨日の日曜日に撮った写真をテーマに何回か書いてみようと思う。
昨日とは違う自然の日々の変化に遅れないように...。

# by finches | 2012-04-16 06:35 | 無題
870■■ 粥の味

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自己治癒力を上げるの、自己代謝の改善だのと言ってみても、病気になっていては世話がない。
ならば、治癒力だの代謝改善だのと思っているは自分の勝手なイメージに過ぎないのだろうか。
相変わらずよく風邪はひくし、血圧も異常に高い時がある。
20年近く前の心臓発作以後、時々心臓の具合がおかしくなりそうな時はゆっくりと深い呼吸をすることで何とか事なきに至って来たが、このところしばしば胸に嫌な気持ち悪さを感じることが続いた。

温泉に毎日通うのもこれらとは違う別の疾患治療の為で、何ともメインテナンスに手間のかかる体だ。
だが、ネットで調べた方が余程良く分る医者の通り一遍の説明も、製薬会社が薬漬けにするための薬も信用できないのだから、自らが暗中模索の上実践してみるしか道はない。
その過程で治癒力が上がり、代謝の改善に繋がると信じている訳で、焦らず自分に合っていると思われる方法を試し探すしかない。

昨日一日腹痛で寝込んだせいで取りとめもなくこんなことを書いてしまった。
まだ完治してはいなさそうだが、今夜は約束の飲み会が待っている。
今日は夕方まで無理をせず、粥を食べ、フライを巻き、本を読んで過ごそう...。

# by finches | 2012-04-13 05:37 | 無題
869■■ 空白の季節
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毎日季節の美しさに感動している。
温泉に通う道は真っ白な花が満開のユキヤナギが何処までも続き、サクラは至る所で咲き誇り、花壇は色とりどりの花で溢れ、生まれ立ての初々しい若葉は其処彼処でそれぞれの忠実な整形に余念がない。

故郷を離れてからの東京暮らしで、故郷のこの創生の季節だけが空白だったことに初めて気付いた。
そこには一日二日の滞在では決して見ることの出来なかった、時時刻刻変化する自然が創り出す無数の営みが重層して展開する世界がある。

それは東京で感じた四月の感動とは全く違うものだ。
もっと早くては気付かなかったかもしれない。
もっと遅くては感動の濃さが違っていたかもしれない。
だから決して遅くはなかったと思う、この自然の中に戻って来たことは。

これから五月にかけて自然は次なるもっと美しい衣替えを用意している。
そして、その瞬間に立ち会えることに今から胸が高鳴る。
季節の中にいる、季節と共にある、その中で自分をゆっくりとリセットする...。

# by finches | 2012-04-11 04:32 | 季節
868■■ 海からの収獲-四月

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家人との弁当とワイン持参の花見が急遽転じて、友人夫婦とのマテ貝掘りとなった。
杣の森へと続く川を渡り、広大な塩田址を過ぎ、歴史ある港から小さな赤い回転橋を渡ってその島に入った。
温かいとは言え、海を吹く風はまだ少し肌寒く、迂闊にも無防備だった腕からその寒さは入ってきた。

潮が引くまでの間、風避けの大岩の陰で持参した弁当を広げた。
持ち寄った弁当や惣菜をシェアし、ワインを楽しみながら潮が引くのを待った。
筆者は腕からの寒さに堪りかね、寒くはないという家人に借りたコートを肩に巻いて寒さを凌いだ。

暫くするともう一人が寒さを訴え始め、その様子にどうも筆者よりは寒そうだと感じ家人のコートはそっちに移った。
そうこうしているうちに潮も引き、マテ貝掘りが始まった。

マテ貝掘りは砂をサッとスコップで削り、現れた小穴に塩をサッと振り掛ける。
暫くすると棒状のマテ貝が小穴からヒュッと出てきたところを引き上げて捕まえる。
マテ貝は穴から出た瞬間まだ潮は満ちていないことに、これは策略だと気付くや否や直ぐに穴に戻るから、モグラ叩きのようにモタモタしていると直ぐに引っ込んでしまう。

寒くはないと言っていた筈の家人がオズの魔法使いのカカシのように、はたまた木の葉を上手に貼り付けたみの虫のように、食事の時に敷いたシートを体に巻き付けマテ貝掘りに余念のない姿に、「彼女らしいな」と思いながらその姿を何枚も写真に収めた。

マテ貝掘りは十分に楽しんだ。
他にもニシ貝や若布や海鼠もその日の収獲に加わった。
筆者は海鼠をウミウシの背中に乗せて遊んだ。

桜は山の中腹にあった。
桜の下の花見ではなかったが、潮の匂いを嗅ぎながら遠くに見る桜もいいものだった。
いい季節が始まった...。

# by finches | 2012-04-10 05:35 | 季節
867■■ 道具の美学
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ガスコンロの買い替えの話に家電量販店を見て歩いた。
条件はただ一つ、グリルは両面焼きであること。
値段は最も高いもので定価4万円台のものを、割引と称して1万円引きで売っていた。
だが居並ぶ中の上級機種でも操作ボタンはチャチでグリルトレイもチンケ、材質も質感もお粗末でこんなものでは料理も楽しくないと思った。

ネットを見ると、先のメーカでも更に上の機種があって、製品の程度は分らないが性能は値段に比例して良くなっているようだった。
更に見ていると、値段のダントツな商品を見つけた。
値段も高いがレビューの評価も高かった。

仕様と性能を読むとその製品が他とは違うことが理解できた。
痴呆が進む父には操作方法が分らないところがいい、何度も鍋を焦がした前科のある母には火災予防に自動消火機能が必須、そして何より楽しく料理を楽しむことが出来そうな予感があった。

筆者は迷わずこの器具を推薦し、母と家人はそれを了承し、2日後にそれは届いた。
セットが終わると後は二人にバトンを渡した。
慣れるまでには多少時間がかかりそうだが、二人とも気に入ったようだ。

前稿ではないが、これも家屋の自然代謝と自然治癒力を高める改善につながる。
衛生的で清潔で綺麗な環境づくりを日々の暮らしの中で自然に行う、新しいガスコンロがそんな気持ちを育めば安い買物だと思う。
美しい道具は生活を楽しくするものだ...。

# by finches | 2012-04-07 04:21 | 無題
866■■ 春の光
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今年に入ってから、自らの体が自然な代謝を行なうような体づくり、免疫力を高め自然治癒力に依存するような体づくり、この二つを意識している。
それを機会に医者に勧められ長年飲み続けてきた薬も止めている。
人間の体で言うなら、こんな僅か数ヶ月の試みでも些かの改善を意識するようになってきている。

これを家屋に置き換えてみるとどうだろう。
高温多湿な日本の風土は家屋に梅雨から夏を旨として造ることを教え伝えてきた。
今でもこれが日本の家造りの伝統であり、それが基本であることに何ら変わりはない。

湿気のことを考えると、家は敷地から1mくらいは離し通風を良くした方がいい。
我家も人間の体で言うところの、自然代謝と自然治癒力を高める改善に取り組んでいる。
その為には先ず家の周囲の環境を見直し、その改善こそが最も手早く簡単で効果を発揮すると考えた。

それはいたって簡単で、衛生的で清潔で綺麗な環境にしてやることだ。
長年何気なく置かれていた不用な物は片付け、すべての場所に太陽の光は無理としても風が当るようにしてやる、それだけで大幅に改善できる。
次に、家屋の周りの土をほんの少しでも下げてやって水捌けを良くしてやる。
この二つを行うことで先の二つの改善は間違いなく図れる。

写真の場所も土を漉き取り水捌けを考えて散砂と小石を敷き詰めたものだ。
以前は左にある酢橙の木の下には、幾つもの鉢や石の欠片やブロックや煉瓦などが無造作に置かれ、ジメジメと虫の住処になっており、正面の板戸も光と風を妨げていた。

今は酢橙の木の下の土は水捌けを考えて均してやり、板戸も竹に変えてやった。
すると、今まで近付きたくなかった裏の場所が衛生的な表の場所に変わり、日が射し風が抜ける場所へと変貌した。
そこに竹垣を通して春の光が落ちていた...。

# by finches | 2012-04-06 04:46 | 季節
865■■ サクラ咲く
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流石に国の木と言うだけあって、サクラの木の多いことに今更ながら気付き驚かされる。
隣家のサクラは毎日のようにその開花の具合を見ているし、最近は一日おきに神社のサクラの偵察にも出掛ける。

満開の桜だけを見ていては気付かないことが随分とある。
枝からほんの少し小さな突起が出るのはまだ寒い冬の間だ。
それはゆっくりと大きさを増すがある大きさまでになると、その小さくて硬そうな突起のままじっと春を待つ。

暦の上で春を迎えてもその小さく硬い突起は慎重に外の様子を窺っているようにまるで変化がない。
だが、確実にその突起は膨らんで来ていて、気が付くと枝全体が今にもはちきれんばかりに膨らんだ、突起改め花の芽に覆われている。

この小さな芽の中には二つから四つの蕾が納まっていて、その芽のカプセルが開くや否や中からこの蕾が押し出されて来る。
この蕾が濃い桜色で球形をしているものだから、枝先は腫れたように丸く色付いて見える。
これが「山笑う」の状態だ。

カプセルから押し出された蕾が開くメカニズムがこれまた面白い。
面白いと言うより神秘的だ。
小さな丸い蕾は桜蕊(しべ)がどんどん伸びてカプセルから押し出され、やがて開いていく。
一つの花芽から二つ、三つ、四つ、と細い蕊の先に花が開くものだから、枝ごとに夢幻の変化に富み軽やかにまるで浮かんでいるように見える。

今年の花見はどこでしようかと悩ましい。
だが、間違いなく日曜日に決まりだろう...。

# by finches | 2012-04-05 05:31 | 季節
864■■ コブシ咲く
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コブシが満開の花をつけている。
コブシは桜の前にまるで木全体が輝いているような純白の花をつける。

この木を初めて植えたのはもう二十年も前になる。
その時にこの木に出合わなければ、今もコブシとモクレンの区別さえつかないでいたかも知れない。

その時は、一年を通して花や実や匂いの絶えないようにと、一年を通して木々の変化が楽しめるようにと、庭造りの専門家の力を借り協同して取り組んだ。
その時に学んだ沢山のことが、後に木を選ぶ力になっている。
お蔭でどんな植え木の専門家に出会おうと言いなりになることはなく、はっきりと自分の考えを伝えた上で、相手の持つ力を引き出すように努めている。

そのコブシの木に実がついた時、名前の由来を初めて聞いた。
その実が人の手の拳に似ているからそう呼ぶのだということを。

一緒に食べたその実が甘かったような朧な記憶だけが残っている。
毎年コブシの花が咲く度に、その時のことを昨日のように思い出す...。

# by finches | 2012-04-04 05:40 | 季節
863■■ 芽吹きの瞬間

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東京暮らしの中で季節を最も意識したのは、何と言っても桜が満開になった時だ。
自宅近くは大きな桜の木があったし、遊歩道にも桜はあった。
仕事場の窓からは眼下にいくつも大きな桜が見えたし、時々その下を散歩したりもした。

その桜を見ながら、「あー、また一年が過ぎた」と思ったし、「またこれから新しい一年が始まるんだ」とも思った。
そして、もう一つ、「来年もこの桜が見られるだろうか」とも思った。

去年は桜橋から隅田川を行き交う屋形船を眺め、左岸墨提で桜を見ながら持参した弁当を食べた。
江戸の頃と比べると川面までの距離は随分と遠くなったが、それでも春霞の中で目を細めると頭の中には江戸の風景が浮かんだ。

今年は桜の見方が去年までとは随分と変わった。
枝に小さな芽が出始める様子、それが次第に生長していく様子、慎重に気温の変化を探りながら芽吹きを待つ様子、カプセルが開き濃い桜色に膨らんだ蕾を押し出す様子、そんな桜の開花の過程全てを楽しんでいる。

桜の木は其処彼処にあって、今年はその中で一番の場所でのんびりと静かな花見ができそうだ。
歩いて行こうか、自転車で行こうか、電車で行こうか、バスで行こうか、選択肢が多すぎて迷ってしまう...。

# by finches | 2012-04-03 05:08 | 季節
862■■ 街の記憶-用水の先で見たもの

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一つの近代化産業遺産の存在をきちんと後世に伝え残したいと思って調べを続けている。
その近代化産業遺産とは街の発展の礎の一つとも言える工業用水路で、その最初の出合いは湖に注ぐ小さな用水路の存在に気付いたことだった。
林の中へと延びるその用水路を辿ると、古い石積みアーチの入口を持つ隧道で地上から姿を消し、更にその用水路が地図の上から突然姿を消していることに筆者の好奇心は頂点に達した。

何とか地図の上から姿を消していた水路の全貌は摑むことができた。
サイホンと逆サイホンを駆使して走る水路は、時に田畑に口を開け、時に開渠となって山の稜線を走り、時に隧道となって地上から姿を消す。
後は水位差による自然流水では説明できないポイントでの揚水をどのように行っているのか、そのサイホンの揚水方法が分ればこの用水の全容を解明できる筈だ。

さて、日曜の午後、一旦湖に流れ込んだ用水が、今度は地中埋設管で湖からどこに行っているのかを追った。
一つ目の『工業用水』と刻まれたマンホールを見つけてからは、道路沿いにそのマンホールを追う行程はこれまでに見たことも行ったこともない場所を通り、一つの工場へと消えていた。
その地中埋設管がかつての貨物線址の下を潜って工場へ入っていたことで、以前拙稿で取り上げた場所まで足を延ばしてみた。

それは『街の記憶-廃線』に使った写真の場所で、鬱蒼とした枯れ草に覆われていた。
だが、それは残っていた。
それを見ながら、消えていく、消されていく、置き去りにされていく、朽ちていく、街の記憶について考えた。
一つの工業用水の全容が分りかけ、それを追って辿り着いた場所の貨物線址は、無残にもその歴史の記憶を寸断され朽ち果て消えようとしていた。
何年か何十年先にこの貨物線址を調べようとする者がこの場所に立った時、そこからはどんな景色が見えるのだろうか...。

# by finches | 2012-04-02 06:31 | 記憶
861■■ 春の恵み-海

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四日間いい天気が続き、四日目の朝、久し振りに市場に出掛けた。
オイルサーデンに持って来いの小鰯を二笊、塩焼きに良さそうな中鰯を一笊、何に使おうがオールマイティな小海老を一まとめ、干物に良さそうな小鯖を五本、〆鯖にしてくれと言わんばかりに目を輝かせている中鯖を一本買った。

鰯と小海老は家人に任せた。
オイルサーデンに初めて挑む家人はその重責からか、ちょっと緊張気味で、作り方をあれこれ調べ始めた。
筆者は三枚に下ろした中鯖を塩に埋めて冷蔵庫に仕舞うと、小鯖の干物作りにかかった。
余りの活きの良さに、五本の内三本を干物に、二本を焼きと味噌煮用に下ろした。

小鯖と言っても盆笊の直径は70センチだから、それ程小さい訳ではない。
色艶とも完璧で、こんな鯖が一本百円で手に入るのだから堪らない。

太陽と風と塩が美味い干物に仕上てくれた。
昨夜早速その一枚を食したが、思わず笑みがこぼれ自然の恵みに感謝した...。

# by finches | 2012-03-31 04:24 | 季節
860■■ 春の気配

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季節は地球上皆平等にあって、四季も地球上皆平等に巡って来るものだと、大人になってからも思っていた。
それが当たり前だと思っていた。
だが、いつの頃からかこの国ほど四季に変化があって、そのそれぞれが美しい国は世界に二つとないと思うようになった。

よもを海に囲まれ、森は深く、川も多く変化に富む。
冬は寒く夏は暑い、雨も降れば雪も降る、乾燥もすれば多湿でもある。
負を克服することで知恵が生まれ、知恵が文化を育み、その知恵は連綿と伝承され受け継がれて来た。

四季の中でも、自然が新しく生まれ変わる、自然が自らをリセットする、そんな創生の季節が静かに動き出している。
これまで生きてきて、その間断なく続く自然の営みの始まりを、こんな風に感じ視るのは初めてだ。

それは、全てがけなげで、繊細で、いとおしく、そしてことばがない程に美しい...。

# by finches | 2012-03-30 04:39 | 季節