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665■■ ブラックシリカ
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ブラックシリカを頂いた。
ブラックシリカの和名は黒鉛珪石で、世界で唯一北海道の上ノ国町で産出される希少な鉱石だ。

倭人が北海道に定住したのは平安時代の終わり頃だが、15世紀初頭になると蝦夷地支配を目的として道南十二館と呼ばれる館が造られた。
東は現在の函館空港近くの志苔館から西は上ノ国町の花沢館まで、十二の館が渡島半島南端の海岸線に分布していた。
そして、そのうちの箱館、松前、上之国は蝦夷地を代表する港だった。

数年前友人たちと上ノ国の天の川を釣りで訪れた時、山の上の花沢館について説明を受けたことがある。
だが、当時はこの地方の歴史についての知識がとんとなく、人がヒグマに喰われた話の方にゾッとして聞き入りながら、緑に覆われた山上の館跡の方向だけを見遣ったことを覚えている。

さて、その上ノ国でこのブラックシリカは採れる。
ブラックシリカが採れる場所は雪が積もらず、動物が集まり、川魚が大きく育つと言われてきたそうだ。
また、この石、アイヌの人たちの間では『痛み取りの石』として珍重された。

この石を使って幾つか試してみたいことがある。
そして、いつかその結果についても書く日が来ると思う...。

by finches | 2011-06-11 05:28 | 時間
664■■ 函館有情ー夕日
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どこで見る夕日も美しいと感じるのは、その景色の中にその時々の心理が重なっているからだと思う。
その日あったことや出会った人のこと、近い思い出、遠い記憶、そして今の気持ち、それらが沈みゆく夕日に重なり心に感じる美しさを増幅させるのではないだろうか。

尾根から見る分水嶺に消えゆく夕日、里から見上げる山に沈む夕日、海を照らしながら山並みに沈む夕日、海に溶けるように落ちてゆく夕日、街や橋を刻々閃光の鏡に変えながら消えてゆく夕日、夕日にはそんな様々な表情がある。

2年前まで函館のこの夕日の中には2基のゴライアスクレーンがあった。
どこからも見ることができた函館のランドマークが消えた今、焦点を失った函館ドックの先に広がる海の、そのまた向こうの山並みに沈む夕日だけが変わらずにあった。

港からの夕日、入舟の漁港からの夕日、外国人墓地からの夕日、どれもそれぞれに美しい。
だが、一番は穴間からの夕日だろう。
今では立ち入りが禁止されているかつての海水浴場、そこに漂う人々で賑わっていた動の哀愁と、そこから見る静の夕日とが重なった美しさがそこにはあるように思う。
そんな穴間からの夕日を思い出し懐かしんでいると、その海を真っ赤な夕日を背に港へと向かう青函連絡船の美しい写真が目に浮かんだ...。

by finches | 2011-06-09 04:20 | 時間
663■■ デイジーの咲く庭
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四日半の滞在だったが、もう六日その時のことばかりを書いている。
しかも昨日まではすべて二日目に投宿した宿でのことばかりを書いてきた。

晴れたのは着いた日と帰る日くらいで、あとは曇り空か小雨の降る少し肌寒い日だった。
小雨でなければもっとたくさんの写真も撮れたのにと思う。

着いた日の夕方と帰る日の朝、坂の上のギャラリーを訪ねた。
店主との会話が弾んでいる家人を残して、隣にある函館聖ヨハネ教会に行った。

人気のない朝の礼拝堂を覘いた後、花が咲き乱れる裏庭を抜けて三つの教会が並ぶ石畳の道に出てギャラリーへと戻った。
教会の朝の庭は生気にあふれ、それは夜のうちに昨日をリセットし、新しい生まれたての朝のように清廉に感じられた。

始まったばかりの一日、光にあふれた素朴な裏庭、そこは可憐なデイジーでいっぱいだった。
この庭には様々な花が咲くが、この季節小さな花が一面に咲くこの雛菊が一番ここに似合っていると思った。

坂下に広がる景色も坂を横糸のように繋ぐ函館を残す道も少しづつ様変わりをしている。
そして、それに連れてそこでの暮らしも様変わりしていく様が無性に切ない...。

by finches | 2011-06-06 05:47 | 時間
662■■ ナラとトチ
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メラメラと燃える薪ストーブのある暮らしは夢だ。
薪は広葉樹を使うのが夢だ。
広葉樹の薪は積まれたところから様になる。

カバ、シナ、ホオ、ハン、クルミ、キハダ。
コブシ、ヤナギ、セン、アカシア、サクラ。
ナラ、タモ、ニレ、カエデ、エンジュ。

これらはみんな薪として使われる広葉樹だが、軟らかいものもあれば硬いものもある。
硬木のナラなどは火持ちが良く薪の王様と言えるだろう。
写真の薪をナラだと思って書き始めたが、そこから出ている葉を見て「ナラの葉ってこんな形だっけ?」と思った。

葉はトチのように見える。
トチの種が薪の間に飛んで来て、根を張り葉を出したものかも知れない。
木皮を見るとナラのように見えるのだが、薪から若葉が出たと想像する方がなんだか夢があって楽しい気がする。

実はこれ、薪が積まれているのではない。
種を明かせば『もみじの湯』という露天風呂の目隠しだ。
ここまで書いて、この先にある露天風呂の名を『トチニの湯』ということを思い出した。
そうだ、トチの林の中にあるからこの名が付けられたのだと思った。

そして、この若葉はやはりトチのものに間違いないと思った。
だが、その若葉が種から出たものなのか、薪から出たものなのかは今ではもう分らない...。

by finches | 2011-06-05 07:05 | 時間
661■■ イノデ
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この放射状に葉を広げるシダはイノデといい、猪手と書く。
種類が多く分布も日本全土にわたり、常緑と落葉のものがある。
この北海道のイノデは若々しく初々しい新緑であったことから、勝手に落葉だろうと想像した。
となると、ツヤナシイノデやサカゲイノデなどが落葉に属するのだが、いくら写真を見比べてもその名前を特定するまでには至らなかった。

イノデは森の中で何度も見たことがあるが、草木や他のシダとは違うどこか幻想的な趣が好きだ。
放射状に葉を広げるイノデが広葉樹林に点在する様は、それはそれは不思議の国にでも迷い込んだような錯覚を覚えるくらい魅惑的だ。
そして、イノデは朝露や雨に濡れている時がもっとも輝いていて美しい。

北海道にヒグマさえいなければと思う。
だが、ヒグマは心ない人間の侵入から自然を守っているともいえる。
北の大地の森もその大地を流れる川も、ともに四季を通じて美しい。

アイヌの人たちはそんな大自然と共存して暮らした。
自然を畏怖し、畏愛し、そして畏敬する暮らしと生き方をした。
そこにはゆっくりとした時間が静かに流れていた。
放射状に葉を広げるイノデを見ながら、この大地を流れる悠久の時間を思った...。

by finches | 2011-06-04 08:28 | 時間
660■■ イチイ
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束帯とは平安時代以降の天皇以下公家の正装をいう。
その束帯を着用する際に右手に持つ細い板を笏(しゃく)と呼ぶ。
昔この木から笏を作ったことから、位階の一位に因みこの名がつけられたという。

北海道の方言でイチイのことをオンコと呼ぶのは知っていたが、秋田方言辞典にはそれについての解説があるらしい。
それによるとオンコはアイヌ語onkoに由来し、別にラルマニ(larma-ni)とも言われていたらしい。
だが、オンコは松前の方言でアイヌ語ではラルマニというともあって、その語源についてははっきりしないようだ。

イチイは年輪の巾が狭く緻密な木で、外形は太くても成長を続ける辺材を残して内部の心材部分は空洞になっていると聞いた。
また、イチイは雌雄異株で水松とも呼ばれ、秋に熟す赤い実は肉が厚くとても甘く美味いらしい。

イチイは函館市の木として知る人ぞ知る。
そのせいか街の中でも郊外でもこの木はよく目にすることができる。
だが、この写真ほどの巨木を見るのは初めてだった。
しかもそんな巨木が何本も立っていて、その姿は幻想的ですらあった。

その雄姿を見ながら、もし森で道に迷って霧の中にこの巨木が現れたら、きっとゾッとするだろうと思った。
だが、その巨木が枝いっぱいに真っ赤な実を付けていたら、その大きな包容にホッとし安堵するようにも思った...。

by finches | 2011-06-03 08:48 | 時間
659■■ かたつむり
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朝食前に雨上がりの森を歩いた。
ヒグマに恐怖しながらの渓流での釣りと違い安全が保障されている安堵感から、森の散策は自然の濃さにおいては若干劣るとしても、そこにあるのは紛れもなく天然ものであり、その新緑は清々しく美しく心も躍った。

視線を下にやると、様々な草花が咲いている。
大きな葉をつけたフキはそこら中にあるし、野生のミツバなどもある。
探せばセリやクレソンもありそうだし、野生のセリなどは香りから違うし、クレソンも爽やかな苦味と柔らかさがたまらない、とその味までも想像した。

タンポポも道産子のようにどこかしっかりとしているように思える。
その上でかい。
エゾタンポポは茎も太く西洋タンポポのように花の下の総苞片が反り返っていないせいか、どこか頭が重い感じがする、と勝手に思った。

そんな森の中の一角にフキの群生に混じって、トクサの群生があった。
そして、そのトクサの一つに小さなかたつむりを見つけた。
こんな風に自然の中にいる虫たちは生き生きとしていて美しい、と思った。

懐が深く広くて大きくて優しい北の大地。
少し薄暗い森の中の道は黒々としていたが、その道は森にあいた逆光の孔に向かって延びていた...。

by finches | 2011-06-02 12:33 | 時間
658■■ 広葉樹の林
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本州より遅れること今の北海道は新緑が実に美しい。
広葉樹と針葉樹がつくり出す緑のコントラストとそこを流れるカラッとした清爽な風が何とも心地よい。
五日間そんな北の大地の五月を満喫することができた。

ミズナラ、イタヤカエデ、イロハカエデ、サワグルミ、アサダ、クリ、サクラ、ナラ、ブナ、タモ、セン、ニレ、ウォールナットなどの広葉樹、カラマツ、トドマツ、ヒバ、シラカバ、スギなどの針葉樹、同じ針葉樹でも落葉するカラマツやシラカバの生まれたての若葉は広葉樹の若葉の色に溶け込んでいるようだった。

もう時期は過ぎたが、春先に木からほんの少し分けてもらうメープルシロップの採取の仕方も教わった。
同じカエデでも甘いメープルシロップが取れるのはイタヤカエデとサトウカエデに限られることも知った。

イチイを水松ということも初めて知った。
佐藤国男の版画の世界がイチイの版木を使うことで生み出されていることも初めて知った。
そして、イチイの古木から一人の版画家の為だけに昼間の製材を終えた後、一人イチイの木目を探りながら材を挽く森の男のいい話も聞くことができた。

これまでに筆者が見た中で最も好きだと言っても過言ではない住宅にも再訪できた。
その住宅を手掛けた建築家とも会うことができた。
突然の電話にも係わらず快く時間を取り、三つの作品に案内もいただいた。
信念に溢れたそれらの建築は簡潔であり、長い時間をかけてある今とこれからも続く試行錯誤への謙虚な姿勢に、筆者には十分に完成の域に達していると感じられた。
そのシンプルさをして、これこそが今の自分が求めているものだと実感した。

五日間で三十人を越える人たちとも会うことができた。
初めて訪ねた人もいた、長くご無沙汰している人とも会えた、いつも温かく迎えてくれる人との再会も叶った、時間が取れず会えなかった人たちも大勢いた。

六月、きょうから北の川の山女は解禁となる。
初めて入ったあの渓流の新緑は今も目に焼き付いている。
自然を大切にし自然と共存することは勿論だが、今回、自然の恩恵を使い切る沢山の知恵と方法を学んだ。
そして、それらはこれからの自分に必ず生かすことができると強く感じた...。

by finches | 2011-06-01 08:33 | 時間
472■■ 弥生小学校-玄関

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仮にそのもの自体をどうしても持続することが出来なくなったとして、船の羅針盤や錨を取り外して保存するのと、建物を特徴付けている柱を切り取って保存するのとはまるで意味が異なる。(前々稿、前稿)
船や蒸気機関車の部品、またはそれらのネームプレートなどは、それら一つ一つが完結した完成品であり、それらの集合として全体が構成されている為に、それらが元の部品に還ったところでそれ程の違和感を感じずにいられるように思う。

それに対して建物を特徴付けている柱を切り取って保存するのは、船の特徴的なブリッジ(船橋)やデッキ部分を切り取って陸(おか)に置くのや、蒸気機関車の特徴的な先端部分を切り取って公園の片隅に置くのと同じで、こうなってくると先の部品を保存するのとは違い、最早只の抜け殻に過ぎない。

写真は筆者がその保存運動に係わった函館の弥生小学校の竣工当時の写真だが、全国で物資統制による鉄筋コンクリート造小学校の建設が終焉する中での戦前最後の小学校建築として、紛れも無く国の重要文化財として後世に残すべき秀作だったが、現在は解体が進み見る影もない。
何処の教育委員会も考えることは馬鹿の一つ覚えのように同じで、この写真の右隅の局面部分が玄関になっているのだが、この曲面部分だけを縦に切り取って新築する校舎に貼り付けようとしている。
これを彼らの符丁では部分保存とか保存再生と呼ぶのだから全く議論にもならない。

先の船の羅針盤や錨を明石小学校や弥生小学校に置き換えてみると、例えば校庭の二宮金次郎の像を移設保存するのがそれらに近く、柱を切り取り壁を剥ぎ取って貼り付ける似非保存は、先のブリッジを切り取って陸に置き、蒸気機関車の先端部分を切り取って公園の片隅に置くのに近い。

登録有形文化財や重要文化財を統括しているからといって文化庁は全く当てにはならないし、文化の本質を見据えてそれらを未来にそのまま継承するという信念も気概も能力もない。
一方、文化財を生かすも殺すも思いのままなのが教育委員会で、この組織が教育の普遍性と継続性という不可侵の理念を後ろ盾に、それらを巧妙に利用してこの国の文化財を次々に抹殺している現状にもっと目を向け知るべきだろう。
日本の文化を守るには、文化庁と教育委員会という一蓮托生の組織を根底から解体するしかない...。

by finches | 2010-09-16 05:13 | 復興
373■■ 銀座 天満つ

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銀座という名前は全国でみられる。
戸越銀座のように実際に東京の銀座との縁(ゆかり)があるものや、ただ人通りが多く賑わっていることから銀座と名付けたものまでその由来はまちまちだ。
函館にもかつて銀座通りと呼ばれる通りがあったが、そこは函館の繁栄を象徴するようにモダンなカフェーや映画館などを始めとするあらゆる商業施設が建ち並ぶ一大歓楽街だった。

この銀座通りのことを別稿で「かつての函館の繁栄の面影を薄墨のように残す一角」と書いたことがあるが、御多分に洩れず栄枯盛衰の跡を今も微かに残している筆者が好きな一角だ。

この通りは余りの繁華街であった為に大正10年に起きた大火後の不燃化計画で道幅を拡幅することが出来ず、防火に強い都市計画的改造を置き去りにした質の悪いコンクリート造建築での不燃化へ回避した為に、続いて発生した昭和9年の未曾有の大火によってそのほとんどが焼失することとなるが、その中の一部で修繕により蘇ったものが現存する何棟かの建物ということになる。

写真の中央にある白い建物は蕎麦屋の「銀座 天満つ」だが、その両隣にはその時に蘇った建物が残っていて、この店主は店の新築にあたり大正ロマンと昭和モダンを併せ持つような新しい店で、この銀座通りにあったかつての街並みの再生を試みたように筆者には思えてならない。

この店のデザインをしたのは建築のプロではないと聞いて驚いたことがある。
入口に合わせてその手前に柳を植えたのか、柳に合わせて入口を決めたのかは分からないが、何ともこの組み合わせが好きだ。
そして、往時の建築によく見られた装飾と見紛うような装飾がパラペットがカーブして盛り上がった絶妙な位置に配されている。

そして、その装飾は海老の天ぷらが二本交差するようにデザインされているのがまた心憎い。
そこからはこの店の名物・海老天蕎麦の暗喩的表現であると同時に、昭和初期の建築に冠された装飾への回帰的表現であることが読み取れる...。



・別稿で「銀座 天満つ」が登場する記事の紹介
  ■■ 街の記憶 - 街への想い
by finches | 2010-05-21 04:53 | 空間