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994■■ 階段の小物たち
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階段にはいろんなものが置かれている。
古い煉瓦、白い大理石、赤い陶板、籐編みのパネル、古い碍子、故宮の瓦、梟の置物、額絵、本、などなど。

栗板の上には小さな小物たちが並んでいる。
家人がカンボジアで買った楽器たち、鳥笛、遥々千葉で買い求めた竹刀、階段の灯りの製作を頼んだ作家からいただいたガラスのオブジェ、函館の坂上のギャラリー店主からいただいた招き猫、アクリルのオブジェ、東京の粋人からいただいた万年筆のピン飾り、家人がくれた和紙紐、などなど。

友人がくれた首長の花器には薄がよく似合う。
同じ友人がくれた小額の中では天女の顔が微笑んでいる。
別の友人がくれた額絵の招き猫は、ひとつは左手ひとつは右手を上げている。
どれもこれもみんな、大切な宝ものだ。

本を読むには暗い階段だが、上り下りはいたって楽しい。
時々、小物たちを並べ替えたり、文庫や新書の順序を入れ替えたり、階段に座って眺めるだけでも楽しいものだ。

未完成の階段はまだまだこれからも進化する予定だ。
それをあれこれ考えるのが、また楽しい...。

by finches | 2013-09-06 06:26 | 無題
956■■ 栗のテーブル

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七畳半は短手が一間半の長手が二間半の大きさだが、この六畳が長手方向に半間延びた大きさがどうにも使い難い。
六畳より広いのだから使い易そうだが、縦横比のプロポーションの悪さなのか、家具がどうにも収め辛い。

その七畳半の発想を転換させて、逆に大きなテーブルを置いてやろうと決めた。
手持ちの栗の厚板9枚を組み合わせを替えながら何度も並べ直し、バランスの良い2枚を選び出した。
その時ベストだと思った向きを忘れない為に、それぞれの板が接する側に対峙する記号を振ることも勿論怠りない。

二日間はその板を並べたままただ眺めるだけにして、さあこれからどう手を入れようものかと思案を重ねた。
三日目から「少し皮剥きしては眺め」を繰り返し、三日かかって荒剥きまでの作業を終えた。
作業を急がないのは、皮と辺材との境の見分けがつかず、無暗に辺材に深く切り込むのを避けるためだ。
それは遺跡の発掘作業に似ていると思った。

天板の表面も荒く仕上げたい。
普通なら加工に出して綺麗に鉋仕上げというところだろうが、それでは栗材の味わいが無くなってしまう。
まあ、慌てず焦らず、ゆっくりじっくり、栗と話しながら、栗の気持ちを確かめながら、材料の持ち味を引き出してやろうと思っている。

この栗材は津軽海峡を渡って遥々やって来たものだ。
この木を山から切り出した人、この木を製材した人、この木を運んでくれた人、その人たちのことを思いながら、ゆっくりと栗の板に命を吹き込んでやろうと思っている...。

by finches | 2012-10-27 07:52 | 無題
948■■ 温泉と彼岸花-その三
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毎日の温泉通いを人は羨ましいと言うが、医者から治ることはないと言われた皮膚疾患の温泉治療をその湯に託している身としては、毎日のそれは他人の羨望からは程遠い忍耐に他ならない。
車で20分以内で行ける二つの温泉がその皮膚疾患を和らげることに偶然気付き、以来筆者の温泉通いは続いている。

その二つは元々は共に古くからある湯治場だが、そのうちの一方が秀逸な掛け流しの湯で、完治こそしないもののその効果には絶大なものがある。
ただ難を上げるならば、余り綺麗ではないことと、休みが決まっていないことだ。

最近その湯の常連から休みだった時に訪れるという温泉の名を聞いた。
そして、このところ日曜日になるのを今や遅しと待ってその温泉に出かけている。
正に灯台下暗し、その温泉の湯があの秀逸な湯に勝るとも劣らない掛け流しだったのだから堪らない。

その温泉には読みたい本を持って行くのが似合うと思い立ち、三回目にそれを実践してみた。
湯客が空いたら湯に浸かり、上がったら畳に胡坐をかいて本を読む。
窓からは桜紅葉、縁側からは峠の下を流れる川からの川風が心地よく入ってくる。
そして、湯上がりに食べた親子丼の素朴な味は何よりの馳走に思えた。

三回目の帰り道も同じ場所に車を止めた。
彼岸花は終わりを迎え、幾つかの田んぼを残しほとんどは稲刈りを終えていた。
これから晩秋を迎えそして冬を迎え、この景色はどんな風に変わっていくのだろう...。


親子丼はこちら
by finches | 2012-10-10 09:23 | 無題
947■■ 温泉と彼岸花-その後
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日曜日の昼下がり、東京から戻った家人を連れて温泉に出かけた。
そこは、その一週間前に初めて一人で訪れた温泉で、源泉を沸かしてはいるものの掛け流しであることには違いなく、その泉質は相当なものだと感心した。

その日湯から上がった家人はどこかニコニコとしていて、以前美人の湯として訪れた寸又峡温泉の泉質に似ていると、妙に抑揚を押さえた声で囁いた。
それは、毎日のように通っている温泉こそが、少なくとも県下では最高の泉質と思っていたところに、突然無名の強敵が現れたことへの驚きと焦りとを押さえている、そんな囁きに聞こえた。

帰り道、彼岸花の咲いていた田んぼの脇に車を止めた。
一週間前の花は終わり、それ以上に多くの真っ赤な彼岸花が一面に咲いていた。
秋の空は高く、そして青く、そこには秋の白い雲がポッカリと浮かんでいた。

四季の移ろいをこれ程身近に感じたことがこれまであっただろうか。
今日は昨日とは違い、明日は今日とは違う、そんな小さな変化に触れ感動したことがこれまであっただろうか。
日本人の感性の根底にある美意識は、この四季の美しさに感じる心に根差していると思った...。

by finches | 2012-10-05 07:31 | 季節
913■■ 巣立ち間近
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雨雨雨の鬱陶しい梅雨に加えて奥歯を抜くことになった憂鬱が重なって晴れない日が悶々と続いた。
ところが一変してこの週末はいい天気に恵まれ、七夕には海辺まで笹竹を切りに行けたし、昨夜は満天の星が夜空を埋めていた。

きのうの日曜、朝食の後で甘酒の仕込みをした。
お粥に水と米麹を加え保温をセットし終えると後は待つだけ、夕方には美味い甘酒が出来上がる。
爽やかな気候に心まで清々しく体は踊るように軽く、夕食は筆者が作るからと思わず言葉が飛び出す程、気持ちのいい一日の始まりだった。

食材の調達も兼ねて久し振りに市営の温泉に出掛けた。
かつて宿場町として栄えた古い歴史のある町を過ぎ、川沿いの道を更に進んだ右岸にその温泉はある。
不思議な名前の付いたその地区ではこれから田植えをする代掻きを終えた田んぼが幾つも目に留まった。
他ではとっくに田植は終わっているから、この地区の米作りの違いが既に持っている知見と重なり、不思議な予感となって頭の中を駆け巡った。

そんな場所だから多くの燕が飛び交っていた。
温泉入口には「巣立つまでご迷惑をおかけします」という燕の絵入りの立て看板まで置かれていて、その上の巣には今にも落ちそうなくらいに大きく育った雛たちが親鳥の運ぶ餌を待っていた。

野も山も随分と緑が濃くなった。
そして、久し振りの青空に梅雨明けも近いと思った...。

by finches | 2012-07-09 06:57 | 季節
859■■ 夜空
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もう直ぐ四月になろうというのに、いつもの年よりも中々寒さが抜けない。
小鳥の囀りは陽春のそれだが、芽吹きを待つ木の芽や蕾は間違って開いたら大変と、カプセルを閉じたまま慎重に気温の変化を伺っている。

それでも風さえなければ日中は随分と暖かくなって過ごしやすくなった。
夜空を見上げるとついこの前まで寒々とした冷気が頬を刺したが、それもいつしか心地よい夜の冷気に変わった。

そんな夜空を見上げると、月が二つの星に上下を挟まれそれらが一直線に並んでいた。
それは初めて見るような不思議な光景で、なんだかとても嬉しくなって何枚も写真に撮った。

庭に立つと満天の星が輝き、闇の中に天球の丸さを感じた。
それがまたちょっと楽しい気持ちになって、石灯籠の中に蝋燭を点した。

星明りと蝋燭だけの闇の世界。
夕食の片付けを終えた家人が庭を歩いてやって来た...。

by finches | 2012-03-29 04:33 | 無題
844■■ 書棚

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東京を離れる時に随分と本は捨てた。
中には手元に残しておきたいと思うものもないではなかったが、人生に於ける希少なリセットの機会に、思い切って身軽になるのもいいと思った。

昨年の暮れにダンボール50箱以上あった本がやっと書棚に納まった。
だが、取り敢えず納まっただけで使い難く、それを少しづつジャンル毎に纏める作業を続けてきた。

そんな中で図書館などで集めたコピー資料やリーフレットなどは整理がし辛く、分散したまま放置していたが、思い切ってそれらにも手をつけた。
この4段の書棚はまだ整理は十分ではないし、新たに加わる資料の為に余裕も持たせてあるが、ここに筆者の興味の中心となる資料が置いてある。

京都から戻ってこの未整理部分に手を付ける気になったのだが、ほぼ一年休止状態だった思考(嗜好)回路にも再びスイッチが入ったような気がした。
まだ大きいサイズのコピー資料の山があるにはあるが、それらもそのうち片付く時が来るだろう。

昨夜共に飲んだ東京からの旅人ももう次の目的地に向かって出発した頃だろう。
こんな取りとめのないことを書きながら、頭の中にその場所の景色を思い浮かべた...。

by finches | 2012-03-06 09:17 | 無題
842■■ 日曜、雨、水鉢
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昨夜遅くに帰ったせいか、2日間よく歩いたせいか、日曜の朝は少し遅く起き、折角用意してくれた朝食も断った。
鯵の干物と炙りたての海苔に未練はあったが、庭を歩いて食べに行く為の腰がどうしても上がらなかった。

食事を終えた家人がお茶を運んでくれた。
暫く話をした後で、土産にと買ってきた最中を二人で食べた。
アラジンの青い炎が静かに燃え、閉めた障子越しに雨音が聞こえた。

氷の世界を体験したメダカたちも、このところ元気に泳ぎまわっている。
日曜日、雨がその水鉢に幾重もの小さな輪を描いていた...。

by finches | 2012-03-04 11:27 | 無題
837■■ 時間は同じに流れている

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夜の羽田はセカセカとしていなくていいものだ。
だが、考えてみると、これまでの夜の羽田それは旅先から疲れて帰ってくる場所で、そこは到着ロビーへと足早に向かう人の流れの中であり、その先に待つ雑踏の中だった。
それは朝も同じで、そこはこれから出掛けて行く場所であり、出発ロビーへと向かう雑踏の中であり、搭乗ゲートの先に待つ感情なく整然と並ぶ椅子の群れの中だった。

同じ空港でも目的が異なることでこんなにも違って感じるものかと思った。
着いた日曜の朝の羽田は空いていて、ガラガラのモノレールからの景色もどこか新鮮に思えたし、それをユッタリとした気持ちで眺めることもできた。
帰る月曜の夜の羽田も何だかのんびりしていて、2日間の余韻を反芻しながら、灯りに照らし出された外の景色を眺めて出発までの時間を楽しんだ。
そして、見慣れた着陸の時の上空からの夜景も、離陸の時に高度を上げながら眼下に遠ざかるものは一段と美しく感じられた。


よく田舎に行くと時間がゆっくりと流れているようだと人は言うし、自分もそう感じてきた。
それは人々の暮らしがのんびりと感じられることで、そこに流れる時間もゆっくりとしているように感じるからだろう。
だが、筆者は今回の東京での2日間、時間がとてもゆっくりと流れているように感じた。
体内時計と感覚時計がずれていなければ時間はどこでも同じに流れているのだと思った。
但し、少しの調整が必要で、両者のズレは少し針を止めて補正をしてやることで解消できることも分った。

気の持ちよう己のスタンス次第で、同じものが違って見え、初めての人とも旧知のように話せ、優しく穏やかになれ許すこともできる。
そんなことを感じ何だか得をしたような2日間だった...。

by finches | 2012-02-28 06:32 | 時間
819■■ 山茶花
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花のない時期に目を楽しませてくれた山茶花の花もそろそろ終わりを迎える。
雪はそんな山茶花に最後の化粧をしてやっているようだった。
雪が溶けると鮮やかな花びらが一面に散り落ちているかもしれない。

椿に似ているが、花びらが散るところが椿とは違っている。
散った花びらが繊細でいつまでも色鮮やかなところもいい。
冬、山茶花が咲いているのを見ると、童謡『たきび』が口の奥に出て来る。

 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 きたかぜぴいぷう ふいている

 さざんか さざんか さいたみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 しもやけおててが もうかゆい

 こがらし こがらし さむいみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 そうだんしながら あるいてく

山茶花は植えたい木の一つだ。
庭にまだ山茶花はないが、『おちばたき』ならできる。
風がなければ、今日の昼は落葉焚きで芋を焼いてやろう...。

by finches | 2012-02-10 05:53 | 季節