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1008■■ 燻製




by finches | 2015-02-11 10:32
1006■■ 燻製
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どこでも、ということはないだろう。
いつも、ということもないだろうが...。

日曜日たまたま訪れた開店直後のスーパーは既に買い物客で賑わっていた。
瑞々しい野菜、新鮮な魚、量り売りのブロック肉、そんなコーナーが設えられ、そのいつもと違う趣向に活気付いているようにみえた。
筆者もその雰囲気に釣られるようにベーコンブロックをカゴに入れた。

ベーコンブロックは燻し色をしていたが、切り口から冷燻だと思われた。
大きなバラ肉全体を薫煙したものをブロックに落とさなければこうはならない、即座にこれは使えると思った。
薫煙をかけ直せばもっと美味くなる、と想像も膨らんだ。

よく使うチップは、ナラ,クルミ,サクラ,ヒッコリー、このあたりが多い。
手元には温燻用にヒッコリーとリンゴ、 冷燻用にクルミとナラがあった。
それらからヒッコリーを選んだ。

いつもよりもかなり長い3時間燻煙をかけた。
出来は上々。
厚めのベーコン、これを焼くとたまらなく美味い...。

by finches | 2014-03-07 08:12 | 無題
1005■■ 古本屋
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高校時代、街には3軒の書店があった。
それらは子供や学生から大人までが利用する街では大きな書店で、いつも大勢の客で賑わっていた。
そして、これらとは別に雑誌を主に扱う店や、兎に角雑多な書籍で溢れている店や、古本や古書を扱う店など、それら小さな店と大きな書店とが程よい距離を保って共存していた。

その中でも一軒不思議な雰囲気の店があった。
その店はアーケードのある二つの商店街を繋ぐその中間辺りにあって、商店街の名前こそあるがアーケードのない、どこか裏寂れた雰囲気の漂う通りに面していた。

その店は通りを挟んで斜向かいに一対あった。
斜向かいに建つ二軒其々にどんな本が置いてあったかは憶えていないが、少なくとも片方には透明なビニールに包まれた怪しい本が並んでいた。

あれから長い年月が流れ、怪しい片方は昔の面影を残す錆びた看板をそのままに、店を閉じていた。
そして、一方は今尚現役の古本屋として、一人二人と少ないなりに人の出入りがあった。

初めて見るその空間はどこか懐かしく、まるで遠い昔にタイムスリップしたように感じられた。
蔵書を増やすために行き止まりになった通路を、行きつ戻りつしながら全てまわった。

そこはまるで図書館のようで、思わず店主に岩波文庫『大君の都』はないかを尋ねていた。
そして筆者は岩波の棚で見つけた『西田幾多郎歌集』を手に店を出た。

今、『大君の都』が手元にある。
その店で思わず尋ねなければ、手に入れることはなかったかも...。

by finches | 2014-03-01 11:29 | 無題
1004■■ 雪
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雲海からひとり頭を出す富士山を眺めながら、やはり富士は日本一の山だと思った。
一方でその厚くタイトな雲を見遣りながら、これが明日になれば地上に落ちてくる正体なのかとも思った。

一夜が明け今まさにその正体が雪となって降っている。
川面に消えてゆく雪を眺めながら、今朝は珍しく2杯のコーヒーを飲んだ。

亀島川は日本橋川から別れて途中桜川と合流して隅田川に注いでいる。
とは言っても桜川はもうないし、江戸時代そこにあった稲荷橋や高橋ももうない。

江戸時代、隅田川の河口の佃島辺りの海は江戸湊と呼ばれ、ここに全国から荷を満載した帆船が集まった。
そして、そこから小舟に積み換えられ、日本橋川や亀島川から更に奥の河岸へと運ばれた。

川面に舞い落ちる雪は江戸の風景を想像させた。
雪の中を往き交う人や舟の活気を...。

by finches | 2014-02-14 08:53 | 季節
1003■■ 復路機中にて
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出発の朝この地では珍しい濃霧に覆われたが、東京では春の陽気に汗をかいた。
二日目は朝からの冷たい小雨が、夕刻を前に雪に変わった。
三日目は一枚着込めば丁度いい、そんな冬らしい寒さに戻った。

慌ただしい二日半ではあったが、予定は卒なくこなせた。
新しい出会いもあったし、発見もあった。
そして、いつものように、新しい発見は新たな疑問を生んだ。

だが、新しい疑問に立ち向かい、悩み考え調べるのは楽しいことでもある。
遠路遥々調査を依頼した図書館の丁寧な対応と、惜しみない協力には随分と助けられた。
法務局でも調査の意図を告げると、通常なら閲覧に辿り着けないであろう資料まで出してくれた。

最後に訪れた図書館では新たな知見に震えた。
それは筆者の予想を否定し、新たな方向を予見させるものだった。
だがそれは、筆者が明らかにしようとした「未来」を終焉させることを暗示していた...。

by finches | 2014-02-02 17:43 | 無題
1002■■ 蕗の薹

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夜露に濡れた中に、朝靄に霞む中に、霜に覆われた中に、健気に小さな顔を覗かせる蕗の薹。
蕗の薹が一日のうちで最も美しいのは、露が靄が霜が朝日に上気し輝き出す瞬間で、そこには生命の神秘漂う美しさがある。

蕗の薹は毎日少しづつ大きくなり、そして、そっと開き始める。
そして、ふと気が付くと、あたり一面に蕗の薹は顔を出している。
この毎朝違う様相を見せるそれらの変化を、毎朝異なる光と空気の中で眺める。
時にはコートを羽織り、時には傘をさし、時には雪が積もるのさえ気にせず、じっと眺める。

その初々しい蕗の薹を家人が蕗味噌にした。
初春を感じさせるその爽やかな苦味が、体の中を真っ直ぐに降りていった...。

by finches | 2014-02-02 09:00 | 季節
1001■■ 空間を遊ぶ
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写真に撮って改めて見ると、玄関の廻りにはいろんなものが無造作に置いてある。
薪ストーブもないのに薪用にと手に入れた柳の生木も、既にもう乾燥から朽ちへと向かっている。
この冬は北海道では卵形ストーブとして親しまれている薪ストーブを取り寄せ、メガネ石の代用にデラクリートの板を加工し、遮熱に気を使いながら煙突を繋ぎ、もう何度もその柳の薪を焼べた。

玄関前の柳も残り僅か五本になった。
玄関前の柳はいつしか空間を遊ぶ大きな剣山のような存在になっていて、大枝を差してみたり、小枝を鳥の巣のように重ねてみたり、こんな陶製のルーバーを置いてみたりと、思い付くままに楽しんでいる。
大甕に生けた南天と松は正月用の飾りだったが、まだ元気だからそのままにしてある。

木賊(とくさ)も根をつけた。
去年の夏の暑さで瀕死の状態だった蕗も可愛い蕗の薹をつけている。
柏葉紫陽花は今年もたくさんの花をつけ、見事な紅葉も見せてくれるだろう。
隣家の庭には今年も色取り取りの花が咲き揃うことだろう。

そんな季節に呼応してこの大きな剣山に何を生けよう...。
まだ寒い冬、芽吹きが始まったら考えよう...。

by finches | 2014-01-31 05:09 | 空間
1000■■ 大晦日
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頼んであった煙突が北海道から届いた。
煙突は地元のホームセンターでも買えるには買えるが、北国のものは作りが一味違う。
灯油であれ薪であれストーブには煙突が付きものだが、人々の暮らしと一つになったその長い歴史が、煙突ひとつをしていい加減さを許さない、それがもの作りに表れている。

梱包を解き安価な薪ストーブに煙突を繋いでいった。
メガネ石は手持ちの材料で代用した。
昔小学校にあった石炭ストーブの煙突のことを思い出しながら、何とか形になった。

薪割りをしてから2年近く乾燥した柳はよく燃えた。
時折薪が爆ぜる音を聞きながら、セイゴの燻製を焼きながら、低い木の椅子に座って炎を見ている。
静かな大晦日、正月を迎える準備も年賀状を除き万端整った...。

by finches | 2013-12-31 14:52 | 無題
999■■ 心を育んだ小山
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網代に竹を編んだ弁当箱に葉蘭を敷き、そこに炊きたての玄米を軽くよそい、梅干とラッキョウと茄子の辛子漬をのせた弁当を作った。
それにリンゴも一つ添えた。

紅葉はもう終わっているかもしれない、そう思いながらもそれらを手に小春日和の小山に入った。
日々の温泉通いで山の色の変化には気を留めているが、美しい紅葉の瞬間にはなかなか立ち会えないものだ。

子供の頃にこの小山で見た紅葉の美しさが今も頭から離れない。
それは山が最も美しい瞬間に立ち会えた忘れられない体験で、今とは違う眼下に広がる素朴な景色とともに頭に刻み込まれた二つとない心象風景だ。

熟した木の実はまるでルビーのようだし、その極めつけの瞬間はまだこれから訪れるのかもしれない。
紅葉は終わったと決めつけるのはよそう。

人気のない山の斜面で書くブログもたまにはいい。
小鳥が鳴き、赤トンボがやって来て 腕にとまる。
時を経てここは今も大切な場所に変わりない...。


by finches | 2013-11-23 14:58 | 季節
998■■ 鏝
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東京京橋の西勘本店は左官鏝を扱う老舗で、それらは店の奥に鎮座している。
勿論値段もいい。

鍛冶屋が作る鏝と違い昨今のホームセンターに並んでいるものは、プレスで打ち抜いた板に柄を溶接したものばかりで、それは数百円から手に入る。
それらは使い捨てで、柄が取れたらお仕舞い、新しいものに買い替える。

そこには良い道具を手入れして使い続けるという文化はもうない。
腕の立つ職人が持つ手入れの行き届いた使い込んだ道具が如何に美しいものか、それらが生み出す仕上がりが如何に研ぎ澄まされているか、それさえも知らない職人が使い捨ての道具を使い野帳場の仕事に身を削る。

素人が高価な鏝を揃えるのは流石に愚か、然りとて数百円の鏝で済まそうとも思わない。
我が家にあった鏝の中から三本を選んで手入れをしてみた。
モルタルや漆喰が付着し、厚く錆びている代物ばかりで、それらを削り落とすことから始めた。

ところが使ってみると滑りが違う。
どうせ安物には違いなかろうが、以前とは全く違う風格も出てきたから不思議なものだ。

それらを、家人は、綺麗だと言う...。

by finches | 2013-11-10 10:37 | 持続