昨夜、去る五月二十七日に逝去された建築構造設計家・木村俊彦氏を偲ぶ会が行われた。 会場となった国際文化会館別館はご自身が構造設計をされた建物で、偲ぶ会の会場としてはこれ以上相応しい場所はないと思わせる、落ち着きと気品に溢れていた。 受付を済ませ、水戸芸術館の塔が中央に薄く印刷された短冊に名前と一言を添え、椅子に腰を下ろし笑顔を見せる等身大の故人の写真の前の献花台にそれを置き、静かに黙祷を捧げた。 その清楚に設えられた等身大の写真と献花台はホール正面の中央に置かれ、後方左のモニターからは故人が係わった建築、後方右のモニターからはプライベートな映像が流れていた。 故人と係わりの深かった建築家が語る思い出は、故人の構造設計に於ける完璧なまでの合理性と、またその一方で語られる人間・木村俊彦の不合理性の狭間に、怒る、怖い、手が付けられない等々、数々の伝説の持ち主とは異なる、豊かな人間性が滲み出ていた。 それらの話の中で筆者の頭に最も強く残ったのは、建築家・磯崎新氏が初めて人に話すと前置きした上で語られた話だった。 磯崎新は丹下健三研究室に入所したばかり、一方の木村俊彦もまだ30歳前だった時のことで、当時の丹下研究室では全ての建築をラーメン構造で考えていて、一つのものを決めるのに30枚、50枚と図面を描き決めていたそうだ。 そんな時、磯崎新は木村俊彦に構造の合理性とはどのようなものかと尋ねたところ、それは簡単だと前置きした上で、建物が壊れる寸前が構造的に最も合理性のある形だと答えられたそうだ。 この時の言葉を磯崎新氏は今日まで心に秘め、氏独自の建築を生み出す戦いを続けて来られたのだと思った。 木村俊彦をして磯崎新は凄いと言わしめた水戸芸術館の塔のデザインが献花の短冊として使われ、磯崎新をしてその塔は構造、工法、ディテールすべてに亘って木村俊彦の力だと言わしめた。 筆者はこの一級の話に深い感銘を受けながら、余りにも惜しい天才の死を憂いた...。 055■■ 建築構造設計家・木村俊彦
by finches
| 2009-09-08 11:04
| 記憶
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