155■■ 飯田市立追手町小学校
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長野県に住む友人から三枚の写真がメールで届いた。
その写真は長野県飯田市内で偶然見かけたという追手小学校で、じっくり観る間もなく慌てて路上駐車して撮影したものだと書かれていた。

早速調べてみると、追手町小学校は昭和4年(1929)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建の小学校で、東西両端を円弧とした「コ」の字型平面を持つ校舎が、校庭を南側に取り囲むように計画されている。そして、屋内体操場は敷地の南辺東寄りに建てられているようだ。
この昭和6年(1931)に建設された屋内体操場は鉄骨造で、半切妻屋根は鉄板で葺かれ、鉄骨造を全く感じさせない木造の内部の構成が見事だと書かれていた。

もう一つこの小学校について説明を加えると、現役の学校校舎で登録有形文化財に登録されているのは、松本市の松本深志高校に次ぎ二例目ということだ。
写真を送ってくれた友人はこの松本深志高校出身の筈だから、きっとこの高校の‘建築の記憶’が友人の車を路上に止めさせ、この追手小学校を撮らせたのだろう。

大正の終わりから昭和初期に建設された鉄筋コンクリート造の小学校は、筆者が現時点で知る限り20近くの都市で建設されている。
当時、即ち大正14年から昭和15年当たりの人口統計を見ると、東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸、が六大都市と呼ばれ、これらの都市では神戸を皮切りに早くから鉄筋コンクリート造小学校の建設が進められるが、これら六大都市以外で当時の人口が上位のものを見ると、広島、福岡、八幡、長崎、そした函館などもその中に入り、沖縄の例を除くと、後は何らかの関係をこれらの大都市と持っていたと思われる地方都市に於いて見られるようだ。

そんな背景を考えながら追手町小学校がある飯田市を見ると、松本深志高校の完成は昭和8年(1933)で追手町小学校より新しいことから、飯田市は恐らく名古屋での小学校の鉄筋コンクリート造化の影響を受けていると考えられる。

当時の地方都市に於ける小学校の鉄筋コンクリート造化には、それを遂行した人間の存在を抜きには語れないが、それについて書き出すとまだ当分終われそうもないので、それはまた改めてということで筆を置きたい。
友人からの写真についつい話が長くなった...。



[我が友人へ]
写真の選択には最後まで迷いましが、建物全体の雰囲気が分かる飯田市サイトのものを使用しました。
お送りいただいたものを使わなくてごめんなさい。
by finches | 2009-09-29 06:46 | 記憶


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