■■ 中央区立明石小学校

b0125465_1329311.jpg[明石小学校]
創立年月 明治41年6月
竣工年月 大正15年8月28日
工事請負 竹田組
校地坪数 1,274.560坪
校舎坪数 1,342.207坪
学級規模 26学級 (現在6学級)
[所在地]
東京都中央区明石町1-15
http://www.chuo-tky.ed.jp/~akashi-es/



大正12年9月1日に起きた関東大震災後の復興事業として焼失した小学校が鉄筋コンクリート造建築で再建された。その数は117校に上り復興小学校と呼ばれている。
明石小学校は当時京橋区で建設された13校の内の一つで、京橋区と日本橋区が一つになった現在の中央区全体で見ると24校の復興小学校の内の一つになる。
現在はその内の9校が現存しているが、実際に小学校として現役で使われているのは7校になる。

中央区はこの復興小学校の保存・活用への理解もあり、少子化の影響をもろに受けている東京の中心にあって、安易に統合による合理化の道を選択せずに、小規模・小学級での学校運営と経営に独自の模索と尽力を続けていると筆者は考えていた。
その明石小学校の雲行きが怪しくなってきた。今月21日に見学会と解体説明会が開催されるようで、筆者も是非参加したいと思っている。
保存活用に理解を持って取り組んできた中央区をして、何かを変えなければならい、踏み出さなければならないとしたら、そこにはこれからの保存、再生、活用への指標があるように思われる。

明石小学校の隣地にはかつて京橋高等小学校という復興小学校があった。
また、道路を挟んで聖路加国際病院に接しているが、この歴史ある名病院も取り壊しの危機に瀕した過去がある。
我々は現実を直視し、そこで行われようとしていることの本質を考えなければならないと思う...。




b0125465_2121511.jpg[京橋高等小学校]
創立年月 明治44年11月
竣工年月 大正15年11月25日
工事請負 竹田組
校地坪数 1457.800坪
校舎坪数 1,164.334坪
学級規模 20学級




かつて明石小学校の隣りに京橋高等小学校というもう一つの復興小学校があった。
復興小学校の中には小公園や道路を挟んで2つの小学校が隣接している例はあるが、このように敷地を接しているのはここだけに見られる。

写真だと左が京橋高等小学校、右が明石小学校、更に道路を挟んだ右が聖路加病院になる。
この2校はコの字型校舎の翼端に屋内体操場を配置する平面計画を持ち似たように見えるが、前者は直線的な構成であるのに対し、後者は建物全体に亘り曲線的な構成が貫かれている。表現主義的扱いに於いて曲線を使った例は多いが、その中にあっても明石小学校のように平面計画、断面計画、その他細部の意匠に亘ってまで曲線で貫かれている例は珍しく、その完成度の高さからも落ち着いた安定感さえ感じられる建築に仕上がっている。

竣工年は共に同じ大正15年、敷地が隣接することから環境条件に差異はなく、敷地条件も共に遜色なく、設計標準規格を作成し個々のばらつきを抑え品質維持を担保して建設を急いでいた背景、これらのどれを取って見てもこの2つの復興小学校に意匠的な違いが現れる理由が見当たらない。
一つ考えられるのは、尋常小学校と高等小学校の違いを意匠的に違えることで表現したのでは、という推測。

まあ理由はどうあれ、復興を急いでいた背景を持ちながらも、どこか大正という時代が持つ誠実さを感じてこの2校を取り上げてみたくなったまで...。




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関東大震災後の復興事業として建設された復興小学校117校の内の約30校が現存し、その中の約3割が中央区にあり今も7校が現役小学校として使われている。
しかし、その中の3校が取り壊されて新築されることになった。
日曜日にこの3校を歩いたので、それぞれを紹介しようと思う。
最初は明石小学校から始めよう。

この学区内を見渡すと、その背景には興味深い歴史がある。
杉田玄白らが解体新書を翻訳したことから西洋医学発祥の地とされ、その他慶應義塾発祥の地、ホテル発祥の地、電信発祥の地でもある。

幕末、日米修好通商条約が結ばれ、徳川幕府は日本に外国人を居住させるために、明石町にあった大名屋敷を他に移し、外国人居留地を造った。その後、明治新政府も居留地の工事を引き継いだため、明石町一帯は教会や学校など西洋文化の誕生したところと言われるまでになった。
そのような独特な環境にあって、外国人に見せて恥ずかしくない学校を造るべく明治41年に造られたのがこの明石小学校の前身であった。

復興小学校の中でも細部に亘り曲線的表現が多く、柔らかい丸みを持った校舎もこのような歴史と環境に宿る力に導かれて生まれたと想像してみると、一味も二味も違う魅力溢れる建物に思えて来るのは筆者だけだろうか。

それにしても残念でたまらない、何とか残せないものだろうか。
震災復興のシンボルとして、大正末から昭和初めにかけて建設された鉄筋コンクリート造小学校校舎として、独自の意匠性を持つ復興小学校として、そして未来へ受け渡す近代建築歴史遺産として...。




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昨日、雨の中を明石小学校の学校公開に出掛けた。
受付を済ませながらも、初めて足を踏み入れる校内への期待でいっぱいだった。
解体に当たっての建物見学日だと思っていたら、年一回行われる学校公開日が正しかったようで、日曜日にも係わらず中では授業が行われ、父兄がそれを遠巻きにしたり共に参加したりと、授業参観日とは違う全校挙げての取り組みが披露されていた。

明石小学校は大正15年に完成した当時26学級だったものが、今では6学級にまで学級規模は減少しているが、空いた教室は一つも見当たらず、全ての部屋が何らかの目的に充当されていて、バランスを欠くことのないそのすこぶる余裕のある教育環境にはただただ驚かされた。
また、毎年の保守費用の予算化が継続的に行われていることが窺われ、築後83年を経過した建築とは到底思えないくらい、見事に現在に通用する建築に思われた。

建設費の比較では明らかな違いは見出せなかったが、筆者は復興小学校117校の中でも幾つかの学校に於いてグレードの差が存在するように感じていた。それは平面図の中に感じたり、外観形状や意匠性の中に感じたりと漠然としたものではあったが、この明石小学校もそのように感じていた学校の一つだった。
校舎の中を歩きながら、降りしきる雨の中をグランドから眺めながら、この建築の設計レベルの高さを実感し、それがこの建物が83年かけて育んだ建築の記憶と一体になって、再生することも新生することも決してできない見事な教育環境をつくり上げていることを実感した。

函館の弥生小学校で感じたものと同じものをここ東京でも感じた。
それは、壊す必要を全く感じない優れた建築、優れた教育環境に対峙しての悲しい気持ちだった。
そして、この不条理を覆そうとする芽はないのかと、雨の向こうの教室の窓に写る人影に思った...。




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鉄砲洲小学校から南に歩くと明石小学校が見えてくる。
写真はこの明石小学校の階段の一つで、ちょうど窓から校庭が見えているものを選んでみた。
久し振りにこの小学校に戻ってきて、何から書こうかと迷ったが、鉄砲洲小学校の最後に取り上げた階段から書き始めることにした。

筆者は初めて訪れた学校で階段を目にすると、まだその一階部分をくまなく歩いていなくても、つい階段を上がってみたいという衝動に駆られる。それは順序良く下から上に向かって見ていけばいいのに、何か上には別の世界が広がっているような気がして、つい横道ならぬ階段に足がそれてしまう。

そして2階を一回りすると更に上へと上がり、同じように3階を一回りすると更に上に上がる。そして屋上に出て校庭を見下ろし、建物のデザインに大きく関係しているパラペットの裏側を観察し、排水溝の扱いや菜園を眺め、階段が屋上に飛び出したペントハウスの形状などの特徴(窓や庇や角の形状等々)などに見入ったりする。

この学校には四ヶ所の階段があるが、どれも安心感と落ち着いた雰囲気がある。
腰までの木の羽目板、柔らかい質感の漆喰壁、角を丸くした踊り場、安全に配慮した窓、この階段に沁み込んだ‘建築の記憶’をずっと残したいと思う。
だが、この明石小学校も取り壊しが決まっている。
こんなしっかりした、現在のもの以上に立派で新しささえ感じる学校を何故...。




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明石小学校・其五で、建物のデザインに大きく関係しているパラペットに触れた。
パラペット(parapet)とは欄干という意味で、建物屋上に設けられた低い手摺壁のことを言うが、近代建築では屋上防水の端部をおさめる(仕舞う)ための低いコンクリート壁の立ち上がりを指して言うことが多い。
写真は明石小学校のパラペットの裏側を屋上から見たものだが、筆者はパラペットを支える目的で、各柱から腕木(上からパラペットを摑んでいるので摑み手という表現の方が近いかも知れない)が、それも屋上にこんなに連続して飛び出しているのを他に見た記憶がない。

この小学校のパラペットは外壁が曲面を描く様に外側に反り返り、その跳ね出しが建物全周に亘っているという大変顕著な特徴を持つ建築と言える。(このような特徴的な意匠は、ある重要な立面に於いて部分的に試みられることはあっても、全周に亘る例は珍しい-067■■ 明石小学校 ・其四 参照
本来なら防水上の弱点となり得る腕木を屋上に突出させること自体タブーに近いと思われる上に、震災復興事業という数多の難題に取り組んでいる最中(この建物は関東大震災の3年後に完成)という時期に、ここまで複雑な仕事を要求したものは一体何だったのだろうと考えてしまう。

明石小学校の特徴は建物の角が全て丸く面取りされていることだが、これも部分的にはあっても、建物全周全てに亘る例は珍しい。
これらはこの建築の背景に起因するコンセプトに支配されて、パラペットの形状やそのディテ-ルの末端に至るまで反映していると考えないと説明がつかない。
この当たりの解明を筆者に出来るかどうかは分からないが、そんな気持ちでこの明石小学校の逍遥をまだまだ続けよう...。




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小島小学校・其二で、復興小学校の設計条件の中には屋上に気象天文等の観測用設備を設けるように記載があり、その実例として千代田区立九段小学校のペントハウス天井に残る風向表示板の写真を掲載したことがある。
今回の写真に写っている風向表示板は明石小学校のものとなる。
(注:写真は実際の感じを解り易く説明する為に2枚の写真を筆者が合成したものだが、使用した2枚は共に明石小学校で撮影したもの)

階段室最上部の天井まで全く手を抜くことなくしっかりと造られていて、床材や手摺もその仕上げや形状を変えることなく、最上階まできちんと仕上げられている。
そして、ここから屋上(当時の言い方は屋上運動場)に出られる訳だが、そのペントハウスの天井にこのような形で風向表示板は取り付けられている。現在は残されていないが、この風向表示板の中心軸が屋根を貫通した先には、それぞれユニークなデザインが施された矢羽根が風を受けていたことだろう。

今の小学校は廊下も階段も照明器具が当たり前のように付けられ、何処も彼処も均一な明るさが確保されている。
しかし、当時の小学校には廊下はおろか階段に照明器具はなく、窓から射し込む光だけで、春夏秋冬、陽の長い時期も短い時期も、暑い日も寒い日も、晴れた日も曇った日も雨の日も雪の日も、子供も先生も同じ条件で過ごしてた。また、過ごすことができた。今でも当時のまま廊下に照明器具のない小学校が実在するが、その学校を案内して下さった先生の言だと、「夕方になるとちょっと暗いんですよ」となる、そんなものなのだ、それで済むことなのだ。

廊下に面した教室の窓は大きく取られ、そこからの灯りが廊下を照らす。既に人のいない教室からは灯りが消え廊下も暗いが、要所要所に設けられた適度な灯りで歩行に支障は生じない。
本来日本にあった光と陰が織りなす世界、その美しさがそこにはあるような気がした。茜色に染まった空、その色が大きな窓から射し込み廊下を染める、人工照明のない豊かな世界がかつてそこにはあり、それを包容できる人の受容と感性があったことを、ふと思った。

一人で薄暗い最上階まで風向表示板を見に行く役目の子供にとって、この空間は一人では少し心もとない、少し勇気のいる場所だったかも知れない。
そんな時は、小走りに階段を上り風向きの観察を終えると、即座にまた小走りで階段を駈け下りたかも知れない。
だが、そこで感じた光と陰の幻想、緊張、恐怖、勇気を決して忘れることはないだろう。それは子供たちにとって、貴重な体験であり教育であると思う。

そして、これらも階段に‘建築の記憶’として沁み込んでいくのだろう...。




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明石小学校の廊下は天井が高く窓からは明るい光が射し込み気持ちがいい。
天井と書いたが、当時の小学校は床裏のコンクリートスラブに直接漆喰が塗られ、今の小学校のような天井はなかった。したがって、ここで言う天井とはこの漆喰面を指している。

現在の小学校で天井を張るのは、当時のようにスラブ裏まで丁寧に仕上げようとすると却ってコストが嵩むことと、電気や空調や衛生などの設備配管などを隠すという理由が挙げられる。
当時とこれらを比較すると、電気配線は当時も廊下のスラブ裏に露出しているが、規則正しく取り付けられた碍子に固定された電線の列は、その丁寧な仕事振りも相俟って筆者などは美しさすら感じてしまう程だ。
では空調はどうか、当時の小学校には空調設備はないが、今の小学校では暖冷房用の送風ダクトや冷媒配管などが挙げられる。
最後に衛生配管はどうか、当時の小学校も廊下の随所に水飲み手洗い場が設けられているが、その為の配管は廊下を横に走ることはなく縦に設けられた配管シャフトの中を上下に走っていた。

即ち廊下の天井はすこぶるシンプルで、基本的に天井照明もなく、全てが自然の恩恵を100%享受できるように建築自体が考えられていた。
当時と現在の子供たちの学校生活にこれ程の差が必要かは別として、上の写真の天井を縦横に走る設備配管を必要とするように、この数十年の内にその学校生活が変わったということは確かだろう。

冷暖房設備の行き届いた環境の中で窓を閉め切った学校生活を送る、トイレにはウォシュレットが備わり、温水で手を洗える、そんな家庭と同じ快適さを求める親たちと、これを当然のごとく容認する教育行政によってここまできたのだと思う。
学校生活とは家庭とは違う様々なことに直面する中で、子供たちは様々なことを体験し、そこから学習し、思うようにならないことを知り、工夫することや思いやることを自然と学び取るのではないだろうか。
必要ではないものまで何でも十分に備わり、そんな与え尽くされた贅沢な環境は、ひ弱で我が身本位の子どもを生む土壌だけを熟成するのではないだろうか...。




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明石小学校は総じて天井が高く窓が大きいという印象がある。
その中でもその高さとその大きさを特徴的に現わしている場所がこの写真だ。
ちょうど二つの廊下が交差する出隅部分で、入隅側にはトイレが設けられ、この出隅部に手洗い場を置いた事で、全体として水周り機能を上手く集約している。

また、この出隅は北の角で、ここを丸くし尚且つ窓をシンメトリーに設けた事で、兎角薄暗く陰鬱になりそうな場所でありながら、朝陽もさることながら午後からの光を取り込む巧みな工夫が見て取れる。
取り分け当時灯りのなかった廊下で、その一方の側の窓からの光がだんだん失せていく中で、そのもう一方の側の窓から差し込む夕陽は、この大きな窓を通して茜色に染まり奥深くまで長い影を落としたことだろう。
(注:この窓の外観写真 → 明石小学校 ・其三

まだ明石小学校の校内を見たことがなかった時、この出隅に設けられた窓の向こうはどうなっているのだろうと思いを巡らしたものだが、初めて室内からその場所を見た時、「ホー、こうなっていたのか!」と、思わず心の中で呟いていた。
この窓はこの建築の特徴を示す一例に過ぎないが、ここに秘められた建築的思想は建物全体に及び、そしてそれを支配し尽くしていることは確かだ。
そのことがこの明石小学校だけにあって、他の116校の復興小学校にはない顕著な特徴となって現れている。

このことは「何とか様式」「何とか派」「何とか派風」などでは到底言い表せないもので、強いて言うならば「明石小学校スタイル」とでも言う以外に適言が見当たらないように思える。
筆者は決めた、これからは「何々小学校スタイル」という、筆者オリジナルの分類でいこうと...。




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明石小学校 ・其九で筆者が勝手に決めた‘明石小学校スタイル’なるものを考えてみたい。
明石小学校の起工は大正14年6月5日で、関東大震災前に既に起工していた3校を除くと、復興小学校の中では3番目となる。
そして、竣工は大正15年8月28日で、こちらは9番目となる。

これら大正の時代に設計された学校建築が、当時の建築の潮流の影響を受けていたことは紛れもない事実であるし、中でもドイツ表現派の影響は、この時代全体が総じて受けていたと言っても過言ではないと思う。
この明石小学校も大きく捉えれば、確かにこの時代の底流にあった表現主義の影響を受けていることに間違いはないし、其処此処にその面影を見ることもできる。
だが、全体を覆う思想はそこからは既に離れたところにあり、それを一つの流派の型に嵌めようとしても無理があるし、最早そこから離脱した表現の模索が如実に見て取れると言っても過言ではないように思う。

明石小学校 ・其九で、明石小学校にはここだけにあって、残りの116校の復興小学校にはない顕著な特徴の存在を示唆した。
それはこの小学校だけがその平面計画に於いて、建物の角という角に大きく丸い面取りがされていることだ。
そして丸柱が建物外周部を一貫して支配し、その同じ柱は室内側では四角の柱に変わるが、その角には丸い面取りが施され、何より特徴的なのは、外に向かって曲面を描きながら反り返るパラペットの形状で、端部の端部に至るまで徹頭徹尾、その建築的思想は貫かれている。

写真は明石小学校の主昇降口だが、ここに表現派の面影が最も色濃く残っていると言えるかも知れない。
入り口扉の上のアーチ部分に嵌められたステンドグラスから射し込んだ朝陽は、中を色鮮やかに照らすだろうし、同じく校庭側のアーチのステンドグラスからは夕陽が射し込むことだろう。
全てに亘ってこの小学校には、周到に考え抜かれた設計者の優れた力量に溢れている。
そして、それを一年と三ヶ月という工期で成し遂げた竹田組の労苦も如何許りであったろうと思う。

それにしても、この学校を壊すのは余りにも惜しい、そして、もったいない...。



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by finches | 2009-04-01 19:10 | 復興


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