189■■ 追分小学校と本郷高等小学校
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大正12年(1923)に起きた関東大震災後の復興事業で建設された復興小学校は、最も早いもので大正13年(1924)に建設され、最も遅いもので昭和6年(1931)には建設が終了している。
この中でも昭和6年に竣工した一校は、後から復興小学校に加えられたもので、この一校を除くと他の復興小学校は昭和5年(1930)までにその全てが完成している。

しかし、東京市の鉄筋コンクリート造小学校の建設はその後も昭和13年(1938)まで続き、これらの小学校は改築小学校と呼ばれ復興小学校とは分けられている。
今回取り上げた追分小学校と本郷高等小学校もこの中に入り、昭和8年(1933)に二校併置の形を取り、インターナショナルスタイルで建設された当時最新鋭の小学校だった。

この建物は昭和22年(1947)に開設され長く分校での授業を余儀無くされていた第六中学校が、昭和36年(1961)から校舎として使用を開始し、現在の名前は文京区立第六中学校と言う。

裏話を少しすると、この建物については集めた資料が整合するまでかなりの時間を要した。
先ず、この建物の玄関脇には追分尋常小学校跡地とはあるが、本郷高等尋常小学校についての記載はなく、権威ある建築学会の資料にはこの建物が本郷尋常小学校と(大嘘が)記載されていた。
悪いことに、本郷尋常小学校という校名が実在していたものだから、筆者の頭は益々混乱させられたものだ。
そんな訳で掲載までに時間を要したが、分かってしまえば何ということはないというのも、些か味気ない気がしないでもない。
写真ではこの二校併置の全体像が分かる特徴が出ていない為、新たな写真を撮る機会があったら、改めてこの建物を紹介したいと思っている。

今朝は一つの学校の歴史を紐解こうとすると、こんなこともあるというところを書いてみた...。

by finches | 2009-11-04 06:33 | 復興


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