218■■ 白妙橋
b0125465_1622917.jpg

築地の波除神社前に立てられた海幸橋の説明板に、このタイプで現存している橋として白妙橋の名が書かれていた。
今はなき海幸橋の姿を知りたくて白妙橋を地図で探すと、その橋は平久川が汐浜運河と交差した下流側にあった。そしてその辺りは川と運河が五叉路のように交差する珍しい場所だった。

だが、いざ白妙橋を書こうとしたらこの橋に関する資料がない。橋の形式が海幸橋と同じというのも先の説明板を鵜呑みにしたに過ぎず、このままでは余りに御寒い。
ところで、築地川東支川に架かる他の橋が桁橋であったのに対し、実質的な第一橋梁とも言える海幸橋をアーチ橋にしたことは隅田川からのシンボリックな見え方を意識してのことだと思われるが、白妙橋の方はこの形式を選択した理由が分からない。

平久川に架かる次の石濱橋(昭和5)は木桁橋、その次の時雨橋(昭和4)は形式不明、その次の平久橋(昭和2)はトラス橋、そしてこれらはみな震災復興橋梁に属している。
あれやこれやと調べていたら、白妙橋の架橋時期は昭和12年(1937)だと分かった。
そして、一つ風穴が開くと面白いように周りが見えてきた。

白妙橋が架かっている塩浜は明治43年(1910)に埋立が開始され、大正10年(1921)に終了している。そして、その2年後の大正12年(1923)に関東大震災が起きる。(この時期には塩浜埋立地の平久川には橋はまだなかったと考えられる)
そして、関東大震災の瓦礫処理で現在の豊洲が埋め立てられたが、そこに町名を付ける時に豊かな土地を願って豊洲と名付けられた。その年が昭和12年で白妙橋の架橋時期と一致する。

隅田川以東の鋼製橋は筆者が調べた限り桁橋とトラス橋だが、白妙橋に海幸橋と同じアーチ橋が採用された理由は、この新しく生まれた豊かな土地へ向かっての第一橋梁としての計らいではなかったろうか。
白妙橋は震災復興橋梁ではないが、震災復興で生まれた豊洲との関係で見ると、筆者はこの橋を震災復興橋梁の仲間と呼びたい。
そして、白妙橋の真西に海幸橋が位置することも興味深い...。

by finches | 2009-12-03 06:53 | 復興


<< 219■■ 蝦蛄 217■■ 築地川南支川 海幸橋親柱 >>