東京の復興小学校の一つで大正15年に建てられた九段小学校の内部を見る機会があった。 「Blog 函館・弥生小学校の保存を考える」 で取り上げる為に一度訪れたことがあるが、内部を見るのは初めてだった。 復興小学校の建設は大正12年の関東大震災後の復興事業として東京市建築局によって進められた。 その時期は震災翌年の大正13年から昭和10年にかけてで、当初は大正9年に結成された分離派の影響を色濃く受け、年が下るに従ってインターナショナルスタイルの影響を受けた建築に変わっていく。 それは正に近代建築運動の潮流の跡を今に語り残している。 さて、そんな近代建築の潮流に乗ってつくられた小学校だったが、宮内省から貸与された御真影と教育勅語が学校毎に置かれた。これらは独立した奉安殿か講堂や校長室に設けた奉安所に置かれていたが、後者はやがて金庫型へと改められていった。 その金庫型の奉安所を九段小学校の校長室で見た。 そして今では御真影こそないが、教育勅語の実物も初めて見た。 117校の復興小学校の建設は共通の規格化の下で行われた。 その建築スタイルは一校一校異なり (環境条件により異なって見えるが、実際は数パターンに分類できる) 、またそれらを短期間に量産しなければならなかったが、講堂は校舎とは異なる出来に仕上げられていたのではないかと、壇上で訓話する東郷元帥(東郷平八郎)の写真を見て思った。 講堂と体育館の違いすら忘れていたが、そもそも講堂は仏教の七堂伽藍の一つで、学校の講堂は儀式または講演や訓話を行う場所だった。 その儀式の一つに御真影を掲げ教育勅語を紐解く時があった。その場所が校舎と異なる出来であるのは至極当然であることに改めて気付いた。 校長室の一枚の写真が当時の時代背景を静かに語っていた。 因みにこの学校は、上六小学校、東郷小学校、九段小学校と名を変えた歴史がある...。
by finches
| 2009-04-01 08:00
| 復興
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