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東京復興計画図 明石の街の歴史を考える上で大正12年(1923)9月1日に起きた関東大震災を避けては通れないと思う。 この未曾有の大地震によって、江戸、明治、大正と続いてきた街づくりは大きな変曲点を迎えることを余儀無くされ、取分け都市インフラの再整備と抜本的な区画整理を伴う復興事業が帝都復興計画の青写真の下で計画的に遂行されていく。 中でも防火区画帯としての機能を併せ持つ昭和通や新大橋通などを含めた道路整備は、町同士の長い歴史的関係の分断を余儀無くさせた一方、それらの町を織糸のようにつなぐ川の存在が江戸から連綿と続いてきた町や人の関係を保ってくれていたように思う。 しかし、この震災復興事業で入船川や鉄砲洲川が埋め立てられ消滅したことも事実だ。 震災復興事業による復興橋梁は築地川水系だけを数え上げても17橋に及び、それだけ人々の生活の中に切っても切り離せない川との関係が存在していたことが分かる。 明石有情を書いていてこれらの町と川との関係、またそれらが織り成してきた人や建物や環境との関係がなければ、聖路加礼拝堂とカトリック築地教会と明石小学校という3つの歴史的建造物が残る町として筆を終えていたかも知れない。 震災復興計画図を見ると明石一帯が焦土と化し、その中から明石小学校を皮切りに町が再生されていった歴史をみることができる。 筆者は現存するこの時代のあらゆるものが、この尊い歴史の語り部であり伝承者であると思う...。
by finches
| 2010-02-10 07:13
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