言問橋は昭和3年に震災復興橋梁として架橋された3径間ゲルバー橋で、そのデザインが決定された経緯を知るとこの橋への思いや見方もまた違ったものになってくる(後述)。 隅田川に架かる橋も浅草の吾妻橋辺りまでは何となく知っていても、その上流に架かる橋となるとなかなか馴染みが薄くなる。 その理由としては吾妻橋から川下を見ると、駒形橋、厩橋、蔵前橋と個性に溢れた橋が続く一方、川上を見ると直ぐに東武伊勢崎線の鉄橋が架かっていることもあって、その先の言問橋やましてその先の桜橋まで関心を持つことは先ずないだろう。 現代人は町を点でしか知らない。 例えば観光や買物であっても自分の目的地へ最も近く便利な駅に地下鉄やバスで移動することが当たり前になっていて、それらの場所もその目的地とした点を中心にしか見ることができなくなっている。 吾妻橋は地下鉄を降りた出口にある橋、水上バスを降りたところにある橋であり、写真を撮るにしてもこの橋の上からまるでコンパスの芯を立てたように一点を一回りして写真に収めている。 だが、立ち位置を自分の意思で選択するとその周りに展開する景色は一変する。 言問橋は震災復興の目玉であった両岸の隅田公園の真ん中を繋いでいる。 そして、その橋は景観や眺望を考慮してデザインされていて、一見地味なゲルバー橋に見えるがその実、桁高を薄くしスリムに仕上げることで橋が個性を主張し過ぎることなく景観に溶け込み、橋の下を通しての眺めまでへも神経を使った個性を自制した配慮がなされている。 隅田川左岸の向島側はかつて洪水対策として墨提という堤が築かれた。(昔、隅田川は墨田川とも書いた為に墨提と言われた)そして、そこには吉宗によって百本の桜が植えられたことで桜の名所となり、明治に入ってからも洪水対策を兼ねた隅田公園が建設されたという前段の歴史があった。 言問橋の下から見る対岸の桜は開花を待ち侘びてはち切れんばかりだったが、満開を待ってこの橋が両岸の景観に溶け込んでいる様を再び見に訪れたいと思った...。
by finches
| 2010-03-23 06:49
| 復興
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