わざわざ夏の花火としたのは、冬の花火と頭に浮かんだからだ。 冬の花火を調べてみると、太宰治、渡辺淳一、安達洋子などがこのタイトルで小説を書いている。 どれも一読すらしたことはないが、この言葉からはどこか悲しい運命の暗示のようなものが感じられる。 もう一つ夏の花火とした訳は、近年一年中花火を上げている季節感のない遊園地などがある。 日が暮れて羽田に向けて降下する機内から何度もその季節のない花火を見たか知れないが、恐らく周辺に住む住民たちからは大切な季節感がとっくに失われてしまっているだろう。 一年中アイスクリームが食べられるのと同類の季節感の喪失は、取分け子供たちの感性を細らせるように思えてならない。 さて、子供の頃夜空を仰いだ記憶が消え去りそうなくらい見る機会がなかった故郷の花火を昨夜見ることができた。 昔見た港で上がるその花火の、ある情景の記憶だけが写真のように切り取られて頭の片隅に残っていたが、その頭の中の写真とは違って随分多くの人で賑わっていた。 暑い夜だったがそこに集まった大勢の人と夜空を焦がす夏の花火を堪能した。 最初、記憶にあった埠頭に行ってみた。 そこは花火を正面から見ることができる場所で、低い防潮堤が出来ていてその先の一等地は時間前から場所取りをした人たちで埋め尽くされていた。 次に、ゆっくり見ようと港の東に場所を移し、大きな空き地の土の上に胡坐をかいて見た。 この町にこれ程多くの人がいたのかと思った。 この同じ一つのものに感動し共有できる人たちがこの風土を守れない筈はないと思った。 だが、花火が終わり再びそれぞれの現実に引き戻されていく中で、同じものに感動できる心も引き潮のように引いて行くように筆者の目には映った...。
by finches
| 2010-07-25 04:27
| 記憶
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