強い保存運動にも係わらず興安丸は広島県三原市木原町沖で昭和45年に解体され、僅か34年でその波乱に満ちた生涯に終止符が打たれた。 興安丸は昭和11年に長崎で建造され、翌年から関釜連絡船として就航し終戦間際に被災するまで運行を続けた。 戦後は引揚船として博多、仙崎と釜山間を往復し、往路は在日韓国人の帰国輸送に、復路は日本人の引揚輸送に従事した。 その後も朝鮮戦争では兵士や傷病兵を運び、昭和28年の中国及びソ連からの引揚再開に伴っては帰国第一船として、それぞれからの引揚者を舞鶴港に無事に送り届けた歴史を持っている。 現在、この興安丸の時鐘と錨とコンパスが舞鶴や三原や下関に保存されている。 建築や土木に於ける歴史的建造物や近代化産業遺産と同じく、このような船舶もその一部を切り取って残すのではない全体完全保存をすべきだったと、一つの物と化したコンパスを見ながら思った。 人は死んだからといってそれを保存することは通常ではできない。 だから、せめてもの故人への思い出にと何か品物を残し大切に保存する。 それらはほんの些細なものであっても故人を偲ぶに十分だが、建築や船となるとその空間での記憶が最大の思い出となり、人と違い朽ちないこれらは保存し残すことも可能だ。 興安丸は昭和20年4月に機雷に触れ航行不能となるが、8月には引揚船として復帰する。 そして、人の手によって再び蘇り使い続けられたことで、新たに様々な人との係わりを育んできたと思う。 だが、今それが人との係わりと断ち切られたことで、只の無機質な物体の一部に戻ったことに空しさだけが強く残った...。
by finches
| 2010-09-14 06:30
| 記憶
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