仮にそのもの自体をどうしても持続することが出来なくなったとして、船の羅針盤や錨を取り外して保存するのと、建物を特徴付けている柱を切り取って保存するのとはまるで意味が異なる。(前々稿、前稿) 船や蒸気機関車の部品、またはそれらのネームプレートなどは、それら一つ一つが完結した完成品であり、それらの集合として全体が構成されている為に、それらが元の部品に還ったところでそれ程の違和感を感じずにいられるように思う。 それに対して建物を特徴付けている柱を切り取って保存するのは、船の特徴的なブリッジ(船橋)やデッキ部分を切り取って陸(おか)に置くのや、蒸気機関車の特徴的な先端部分を切り取って公園の片隅に置くのと同じで、こうなってくると先の部品を保存するのとは違い、最早只の抜け殻に過ぎない。 写真は筆者がその保存運動に係わった函館の弥生小学校の竣工当時の写真だが、全国で物資統制による鉄筋コンクリート造小学校の建設が終焉する中での戦前最後の小学校建築として、紛れも無く国の重要文化財として後世に残すべき秀作だったが、現在は解体が進み見る影もない。 何処の教育委員会も考えることは馬鹿の一つ覚えのように同じで、この写真の右隅の局面部分が玄関になっているのだが、この曲面部分だけを縦に切り取って新築する校舎に貼り付けようとしている。 これを彼らの符丁では部分保存とか保存再生と呼ぶのだから全く議論にもならない。 先の船の羅針盤や錨を明石小学校や弥生小学校に置き換えてみると、例えば校庭の二宮金次郎の像を移設保存するのがそれらに近く、柱を切り取り壁を剥ぎ取って貼り付ける似非保存は、先のブリッジを切り取って陸に置き、蒸気機関車の先端部分を切り取って公園の片隅に置くのに近い。 登録有形文化財や重要文化財を統括しているからといって文化庁は全く当てにはならないし、文化の本質を見据えてそれらを未来にそのまま継承するという信念も気概も能力もない。 一方、文化財を生かすも殺すも思いのままなのが教育委員会で、この組織が教育の普遍性と継続性という不可侵の理念を後ろ盾に、それらを巧妙に利用してこの国の文化財を次々に抹殺している現状にもっと目を向け知るべきだろう。 日本の文化を守るには、文化庁と教育委員会という一蓮托生の組織を根底から解体するしかない...。
by finches
| 2010-09-16 05:13
| 復興
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