526■■ 海-十一月

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好きな場所なのに行かなくなった所は多い。
一番に思い付くのは尾道で、筆者が最も好きな街だった。
尾道には好きな木造の旅館があって、一階の海に面した部屋からは引っ切り無しにフェリーが目の高さで行き交う様子が眺められ、船の音や造船所から聞こえてくる音などが街の音として心地良く響いていた。
ある時その部屋から行き交うフェリーをスケッチしていると、頼んだビールを運んで来た女将が大林宣彦監督も映画の撮影でこの部屋に泊まられた時、その同じ場所からスケッチをされてましたよと話し掛けられたことを懐かしく思い出す。

当時は映画「転校生」や「さびしんぼう」に描かれた世界が尾道にはあって、何とも言えない美しい街が静かに息をしていた。
今千光寺からの眺めは余り変わらないように見えるかも知れないが、海岸線に沿うようにあった古いものが姿を消し、あの木造の旅館も佇まいを変え、露地が広い道に変わり、そこから聞こえてくる街の音も変わり、気が付くと筆者の足も遠退いていた。

写真の場所も筆者の足が遠退いた場所の一つで、かつては年に一度は訪れて変わらない景色を確かめ、港の石の堤防の美しさに時間を忘れて見蕩れたものだ。
しかし今は、海岸には塵が打ち上げられ、美しい石の堤防は消波ブロックで囲われ、沖には全く必要を感じない消波ブロックが積み上げられ、何もかも台無しにされた景色が痛い。

前稿で「筆者たちの世代がまだ日本が美しかった時代に生まれ、生きて来られたことに細やかに感謝した」と書いた。
それは正に失われたこれらの風景を回想して出た言葉だったが、同時に今はその中で磨かれる感性も失われているのではとの危惧に対して、筆者たちは良い時代を生きてきたと素直に思え出た言葉だった。

久し振りに訪れた海、ここで切り取った景色だけは昔のまま変わらない...。

by finches | 2010-11-21 07:11 | 時間


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