![]() 昨日の日経朝刊の一面に「路面電車を都心に復活」という記事が載った。 それは中央区が銀座と晴海を結ぶ路線を敷設するという計画で、早ければ十年後には勝鬨橋を渡る路面電車の姿を見られるかも知れない。 建設費も地下鉄の十分の一程度で済むらしい。 電気=ECOという大嘘に洗脳されていない筆者の頭にも、この路面電車の復活は良いと素直に思えた。 昨日の朝、路面電車の行き交う神田須田町界隈を想像しながら「萬世橋灯具」を書いた後でその新聞記事を見たせいもあって、何処の国だったかは忘れたが発想自体は外国の試みの二番煎じにしても、それを実行に移したことは評価できる。 ところで、鉄道の歴史とは不可解というか非情なもので、明治に入って全国各地に鉄道が敷設されて行くが、それらはほとんど官ではなく民の努力と力で行われる。 ところが、官は明治39年(1906年)の鉄道国有法で全国の鉄道網を一元化するとして私鉄を国有化し、一気にその営業距離を3倍に伸ばしている。 現在都内に唯一残っている路面電車は都電荒川線だが、これも元を辿ると王子電車という私鉄だった。 そして、こちらも昭和17年(1942年)の電力統制と交通統制によって東京市に譲渡され東京市電となったものだ。 昨日の甲武鉄道のように、路線を少しづつ拡大しやっと電化に乗り出した矢先有無を言わせず国有化では、どう考えても筆者には官権力によるパクリとしか思えないのだが。 写真は昭和8年(1933年)当時の東京市電路線図だ。 市電は赤線、それ以外は黒線で描かれているが、これを見ると王子電車の路線が早稲田から三輪橋まで黒く描かれている。 そう言えば京都から市電が消えて、京都から足が遠退いたことを思い出した。 市電の街と合ったスケールが好きだった。 裏露地にいても市電の音で大通りの方向が分った。 電車の中から次の電停が見えることで自分の行きたい場所との距離を測り降りることもできた。 ところで、路面電車復活と同時に勝鬨橋を上げることも復活して欲しいものだ...。
by finches
| 2011-02-03 03:38
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