この煉瓦アーチの高架をこれまで何度見たことだろう。 それは神田川に架かる万世橋や昌平橋の上を歩きながらであったり、須田町の方角からであったり、橋の欄干に手を掛けてであったり、交差点を渡りながらであったり、両側にビルが建ち並ぶ殺風景な道の歩道からであったり、その数は何十回にもなるだろう。 だがこれまで、この明治の建造物にさして興味を持つこともなかった。 それは一つにはその生い立ちを詳しく知らなかったこと、一つには煉瓦アーチの中が煉瓦で塞がれているか塞がれていなくてもその中の開口の取り方がどうも好きになれなかったせいだと思う。 萬世橋駅の名前も知ってはいた。 だが、今の中央線が萬世橋駅を始発駅として伸び、新橋と上野の間にはまだ線路も無く、今の総武線は両国橋駅(現両国駅)を始発としていた、そんな光景を思い描くにはこの辺りは余りに変わり過ぎていた。 萬世橋駅のホームからは神田明神の境内や上野の森、下谷の町、日本橋一円は眼下に見えた、そんな光景を思い描くこと自体無理があるのかも知れない。 この煉瓦アーチの高架の上には萬世橋駅の二本のプラットホームがあった。 神田川寄りには汽車用の長いプラットホームが、駅舎があった須田町側には電車用の短いプラットホームがあった。 そして今もその址はこの煉瓦アーチの上に残っている。 こうしてじっくり百年前の煉瓦アーチを見ていると、こういうものが共存する社会が如何に豊かであるかが分る。 再開発で全く新しくなった街に親しみが持てず、混沌としていても古いものが共存する街には親しみを感じるのと似ている。 メダカの泳ぐ鉢の水を全て新しいものに換えはしない、古い水を残して新しい水を足し入れる筈だ。 そうでなければメダカは生きられないし、同じことが街にも建築にも当て嵌まるのではないだろうか。 共存と共生、そうでなければ人間は人間として生きられない...。
by finches
| 2011-02-09 05:40
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