テーブルの片隅に飾られていた雛人形が昨晩でまた元の箱に仕舞われた。 毎年ひな祭りの頃になるとテーブルの上には一対の小さな人形が飾られ、御雛様の日には蛤や菜の花を使ったものや、この時期の旬の食材を使った料理を肴に、白酒ならぬにごり酒をいただく。 昨夜は御雛様のお祝いを行きつけの店で楽しんだ。 お通しには蕎麦猪口に二つの蛤と菜の花がきれいに盛られた温かい吸い物が出された。 そして塩味の雛あられと御内裏さまと御雛さまをかたどった蒲鉾がそれぞれ小皿に入れて出された。 後はいつものように旬の料理が書かれた小さな黒板から幾つかを選んで注文し、冷したお酒を家人が持参してくれた漆塗りの杯でいただきながら、気心の知れた人のいい常連たちとの会話を楽しんだ。 いつもこの時期になると家人の口からは子どもの頃にあったというおひな様の話が出る。 今朝はそれを絵に描いて欲しいと頼むと、絵が得意ではないと自認する家人は、定規まで引っぱり出して来て口と体でもがきながら苦闘していたが、仕上がった絵からは十分にその雰囲気が伝わってきた。 それは御殿飾り雛というものらしく、まさに内裏(だいり)の紫宸殿のような建物に人形が飾られていたものだったようだ。 家人の描いてくれた絵によると、建物の一番奥におひな様とお内裏さま、その手前に中央は座り左右は立った三人官女、階段下には酔って赤い顔の右大臣と橘が左、ちょっと怖い顔の左大臣と桃が右にあったようだ。 だから段飾りの雛人形とは違っておひな様も中を覗き込むようにして見たそうだ。 こういうおひな様は箱から出し組み立てるところから始まり、終わると丁寧に拭いてまた元のように包んで箱に仕舞う。 一年に一度のその一連の所作から、言葉だけでは決して伝えることのできない様々なことが母から娘へと伝えられて来たのだろう。 この御殿飾り雛はいつの間にか行方が分からなくなり、今はもうないらしい。 だが、毎年飾られる一対の小さなひな人形と、在りし日の御殿飾り雛の思い出話が、いつしか我が家に春の訪れを告げるささやかな行事となった...。
by finches
| 2011-03-04 05:16
| 嗜好
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