625■■ 雄勝硯
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男鹿半島があるのは秋田県で「おが」と読む。
牡鹿半島があるのは宮城県で「おしか」と読む。
中学生の頃この二つがよくこんがらがって、そのたびに地図を広げて確かめた。

その牡鹿半島は古くは遠島(とおしま)と呼ばれ、今では民謡の遠島甚句にその名が残っている。
江戸時代のはじめにこの遠島に鹿狩りに来た伊達政宗に二面の硯が献上され、政宗はそれをいたく喜び褒美を授けたという言い伝えが残されている。
恐らく牡鹿半島の名の由来は当時の遠島に多く生息していた牡(おす)鹿と思われるが、牡(おす)は雄(おす)と名を変え雄勝(おがつ)という地名を生んだのだと思う。
今も雄勝は硯の名産地として知られているが、鹿と硯が取り持った縁が雄勝硯の名に残されている。

この牡鹿半島の西には石巻、付け根には女川町、雄勝町はその少し北に位置する。
共にこのたびの津波では甚大な被害を受けている。
筆者の友人がこの雄勝の出身で、これまでいくつも硯をいただき今も大切に使っている。
その友人の家は東京にあるが正月に雄勝に帰ると、入れ替わり立ち替わり親戚の人たちが集まって、何日も宴会が続いて大変なのだと嬉しそうに話していた。

その雄勝の被害を目にしたが、友人への連絡はまだ取っていない。
あの明るい叔父さんのこと、親戚の方々のこと、とても「大丈夫でしたか」などと聞けはしないからだ。
あの公民館の屋上に観光バスが載り、小学校の屋上に家屋が載る被災地が無事であろう筈がない。

もっと早く深い入り江が美しいその友人の故郷を訪ねておけばよかった。
話に何度も登場した温かい人たちともっと早く会っておけばよかった。
硯を作ってくれた叔父さんにもっと早く会ってお礼を言えばよかった。
だが、今できることは一人でも多くの無事を知らせる友人からの電話をただ待つことだけ...。

by finches | 2011-03-20 03:58 | 無題


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