東京2日目の朝、清洲橋までの散歩を楽しんだ。 隅田川は清洲橋左岸上流で小名木川と出合い、そこには変わらぬ萬年橋の姿があった。 清洲橋左岸下流には隅田川との出合いを絶たれた仙台堀川の水門だけがあった。 清洲橋から下流を望むと、高速道路によってその上下を切り取られた永代橋があった。 清洲橋から上流を望むと、隅田川は右岸に向けて大きく曲がり、正面にはスカイツリーが聳えていた。 手元に清洲橋の写真は何百枚とあるが、やはり臨場感が覚めやらぬうちに書く方が楽しい。 それは、そこから見たもの、考えたこと、感じたこと、そして、空気の冷たさ、朝日の光耀、様々な音などの記憶がまだ鮮明に残っているせいだと思った。 行きは上流側を中洲から清澄に向けて渡り、帰りは下流側を渡った。 行きは逆光の中、帰りは順光の中、鉄の厚い板やリベットがつくり出す無数の光と陰、その一つ一つがアーチの美しいシルエットをつくり出していた。 右岸下流の橋詰からテラスに下りた。 そして、橋の下を潜り上流に向かって歩き、新大橋から浜町公園へと抜けた。 復興大公園の一つ浜町公園は開園当時とは随分変わったという印象を持っていた。 だが、紅葉した大木を見ていると、あの『昭和大東京百図絵』にある小泉癸巳男の『日本ばし区浜町公園・春雪』の景色と重なるようにも思えた...。
by finches
| 2011-12-22 04:36
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