東京京橋の西勘本店は左官鏝を扱う老舗で、それらは店の奥に鎮座している。 勿論値段もいい。 鍛冶屋が作る鏝と違い昨今のホームセンターに並んでいるものは、プレスで打ち抜いた板に柄を溶接したものばかりで、それは数百円から手に入る。 それらは使い捨てで、柄が取れたらお仕舞い、新しいものに買い替える。 そこには良い道具を手入れして使い続けるという文化はもうない。 腕の立つ職人が持つ手入れの行き届いた使い込んだ道具が如何に美しいものか、それらが生み出す仕上がりが如何に研ぎ澄まされているか、それさえも知らない職人が使い捨ての道具を使い野帳場の仕事に身を削る。 素人が高価な鏝を揃えるのは流石に愚か、然りとて数百円の鏝で済まそうとも思わない。 我が家にあった鏝の中から三本を選んで手入れをしてみた。 モルタルや漆喰が付着し、厚く錆びている代物ばかりで、それらを削り落とすことから始めた。 ところが使ってみると滑りが違う。 どうせ安物には違いなかろうが、以前とは全く違う風格も出てきたから不思議なものだ。 それらを、家人は、綺麗だと言う...。 #
by finches
| 2013-11-10 10:37
| 持続
寒さを感じる今日この頃、朝の洗顔の水も日に日にその冷たさを増してきたように感じられる。 そこで昨夜から湯たんぽを使い始めた。 湯たんぽを使い始めて二年目になる。 こんないいものがあったのかと今更ながら思うが、ブリキ製で真鍮の口金のついたやつ、やはりこの伝統の型が一番だと思う。 今も椅子の足下にその湯たんぽはある。 それはほのかに暖かい。 湯たんぽのお湯は行きつけの温泉のもので、朝はそのお湯で顔を洗う。 一晩寝かせたお湯はまるで焼酎の前割りのように、一層そのまろやかさを増している。 家人はそのお湯での洗顔がたまらないと言う。 然もありなん...。 #
by finches
| 2013-10-19 05:13
| 季節
東京のこんな都市的空間が好きだ。 光を透過するテフロンの膜材、スレンダーな鋼材の接合部のディテール、隠れて見えないがタイロッドも美しくおさまっているだろう。 かつてこの場所には12階のデパートが建ち、視界を遮っていた。 それが今このグランルーフに変わり、八重洲から丸の内へ風穴が開いた。 丸の内側の東京駅は創建時の姿に復元された。 まるでその復元と対峙するかのように、デパートの『壁』は消えた。 再開発により高度な集密化を図りながら、一方でスパッと『減算』する。 東京のそんな都市的ランドスケープが好きだ。 だがそこにはそれを、想い、創り、闘い、成した、人間が必ず、いる...。 #
by finches
| 2013-10-14 10:32
| 空間
初めて経験するこの夏の暑さ、それは酢橙の枝につけた温度計の水銀柱を38度まで上げた。 その暑さのために新しく植えた草木も随分と枯れた。 たとえそれをまぬがれても、葉焼けした草木は弱々しくしな垂れ、その暑さが過ぎるのをただただじっと待っているように思えた。 初めて経験するこの夏の雨、それは獣のように恐ろしい雄叫びを上げて叩きつけ、草木も大地もそして人もその余りさにおののき、それが過ぎるのをただただじっと待った。 真夏日ということばが生まれて久しい。 そのことばと足並みを揃えるように、優しかった日本の夏の雨は南の国のスコールに変わった。 そして猛暑日ということばが生まれ、更に「これまでに経験したことがない」ということばが冠せられ、雨もスコールからとうとう音からまるで違う恐ろしささえ感じる雨に変わった。 夏に向けてヘブンリーブルーの種を幾十と蒔いた。 そのうち何割かが無事に芽を出し、それを何箇所かに分けて植え替えた。 そのうちまた何割かが無事に育った。 蔓を伸ばし始めた朝顔のために棕櫚縄を張った。 蔓は竹垣をはい、屋根まで上がり、柿の木のてっぺんまで伸びた。 だが花を咲かせることなく 暑過ぎる夏は過ぎた。 秋の彼岸を前にして突然ヘブンリーブルーは真っ青な花をつけ始めた。 竹垣、トマトの竹棚、屋根、柿の木のてっぺん、とにかくそこら中で。 今朝も何十もの真っ青な花が風に揺れている。 秋分、朝顔はまだ明け遣らぬ闇の中でその美しい青い花を開いたのだろう...。 #
by finches
| 2013-09-28 06:55
| 季節
階段にはいろんなものが置かれている。 古い煉瓦、白い大理石、赤い陶板、籐編みのパネル、古い碍子、故宮の瓦、梟の置物、額絵、本、などなど。 栗板の上には小さな小物たちが並んでいる。 家人がカンボジアで買った楽器たち、鳥笛、遥々千葉で買い求めた竹刀、階段の灯りの製作を頼んだ作家からいただいたガラスのオブジェ、函館の坂上のギャラリー店主からいただいた招き猫、アクリルのオブジェ、東京の粋人からいただいた万年筆のピン飾り、家人がくれた和紙紐、などなど。 友人がくれた首長の花器には薄がよく似合う。 同じ友人がくれた小額の中では天女の顔が微笑んでいる。 別の友人がくれた額絵の招き猫は、ひとつは左手ひとつは右手を上げている。 どれもこれもみんな、大切な宝ものだ。 本を読むには暗い階段だが、上り下りはいたって楽しい。 時々、小物たちを並べ替えたり、文庫や新書の順序を入れ替えたり、階段に座って眺めるだけでも楽しいものだ。 未完成の階段はまだまだこれからも進化する予定だ。 それをあれこれ考えるのが、また楽しい...。 #
by finches
| 2013-09-06 06:26
| 無題
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